杜の都ふるさと便 

東日本大震災の復興・再生を祈願してみちのく&杜の都のニュースや話題等お伝えしています。

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宮城県山元町笠野地区八重垣神社の新社殿で7月30日に夏の例祭

  山元町笠野地区八重垣神社で夏の例祭

 東日本大震災で大きな被害を受けた山元町笠野地区の八重垣神社で新社殿が完成し、30日、新しい社殿で初めてとなる夏の例祭があった。旧社殿は津波で流失しており、祭りに集まった氏子や住民に笑顔が広がった。
 みこしは氏子ら約30人が担ぎ、神社そばの浜辺や町の新市街地「つばめの杜」などを巡行。最後に、新社殿の前で威勢のよい掛け声とともに練り歩いた。
 木造の社殿は建築面積約70平方メートル。25日に完成し、28日にご神体を新社殿に移す遷座が行われた。再建費用は日本財団からの支援金や神社の自己資金、義援金などで賄われた。
 氏子総代長の岩佐吉郎さん(76)は「震災直後は、6年でこんなに立派な社殿が建つとは思わなかった。多くの支援に感謝したい」とにこやかに語った。

★八重垣神社
八重垣神社は宮城県山元町にあります。海の側にたたずむ神社で、地元の人からは「お天王さん」として親しまれています。その歴史は古く、応永16年に藤波氏により牛頭天王が鎭守されたと記録されています。毎年7月に行われる八重垣神社例祭では、地元の氏子衆による豪快な神輿渡御が行われていました。残念なことに、2011年の太平洋沖地震により神社が津波で流されてしまいました。津波の被害により周囲は何もなくなってしまいましたが、仮社殿を建立し、復興に向けての植樹祭も行われています。
 
 応永16年(1409)に藤波祥学の祖、堯雄(ぎょうゆう)が伊勢神宮に詣でて、スサノウノミコトの神霊を乞い、牛頭天王(ごずてんのう)と称し鎮守したと社伝にあります。社殿は寛政年間(1789~1801)に造営されたもので、総欅造、彫刻「かご彫り」があります。
 
 例祭は旧暦6月15日の前後のどちらかの土日にかけて行われ、仙南地方の三大夜祭として広く知られています。本祭りでは神輿渡御が行われ、およそ30人の担ぎ手によって笠野の海へと入っていく豪快な祭りの姿を見ることができます。
〒989-2202 宮城県亘理郡山元町高瀬字笠野128番
山下(宮城県)駅出口から徒歩約19分
 
★山元町
山元町(やまもとちょう)は、宮城県の東南端の太平洋沿岸に位置する町である。
町民憲章「明るく住みよい和のある町をめざす」
◆地理
町の地形は、西部が山地(森林)、中部が台地(畑・果樹園)、太平洋に面した東部が低地(水田)となっている。町内は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区の三つに分けられる。もとは国道6号線沿いの旧山下・坂元両村の役場が置かれていた辺りに人家が集中していたが、これらの部落はともに最寄駅(常磐線の旧山下駅・旧坂元駅)からは離れており、電車を利用しての通勤・通学にはやや不便であったので、次第に常磐線沿いにも宅地が形成されていった。
山:大森山(315.1m)・深山(287.2m)・四方山(272.6m)・権現堂山(325.0m)
河川:戸花川・坂元川
年平均気温:12.2℃(2005年)
月平均降水量:88.17mm(2005年)

都道府県 宮城県
亘理郡
面積 64.58 km²
総人口 12,127人(推計人口、2017年6月1日)
人口密度 188人/km²
隣接自治体 角田市亘理郡亘理町伊具郡丸森町 福島県相馬郡新地町
町の木 クロマツ
町の花 ツツジ
町の鳥 ツバメ

◆歴史
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。大津波により沿岸地区6部落が壊滅して多数の死傷者を出し、常磐線の町内区間が不通となる。
2016年(平成28年)12月10日 - 常磐線の町内区間が運転を再開。山側に移転した山下駅と坂元駅の新駅舎が開業。
◆名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
四方山・深山トレッキングコース
深山山麓少年の森(菱沼の郷)
社台グループ山元トレーニングセンター
唐船番所跡(磯崎山公園)
蓑首城跡
八重垣神社
山元夢ファーム(ポニーの乗馬が楽しめる)
◆祭り・イベント
ホッキ祭り - 2月下旬
ストロベリーラインふれあい市 - 6月上旬
八重垣神社(お天王様)祭礼 - 7月下旬
商工産業祭・文化祭 - 11月上旬
アップルラインふれあい市 - 11月下旬
やまもと食のまつり - 12月下旬

ミライフ東日本 契約数2万軒を目指す

ミライフ東日本 契約数2万軒を目指す

シナネンホールディングス(HD)グループで、東北6県で主にLPガスを販売するミライフ東日本(仙台市)が、東北の一般家庭向けに電力販売を始めて1年が過ぎた。
ミライフ東日本は電力小売り全面自由化を機に参入し、LPガスなどと組み合わせた料金プランを提案する。
平岡哲美社長へのインタビュー
「現状と展望」
 
 -電力の販売状況は。
 「昨年4月から市場調達した電力を販売し、今年5月末で約4000軒と契約した。LPガスや灯油、通信をセットにした料金プランを提案し、電気の単価は使用量に応じて東北電力より1~5%安く設定している。2019年度末までに北海道と合わせて契約数2万軒を目指したい」
 -目標達成の道筋は。
 「契約先は6県に約4万5000軒あるLPガス顧客が中心だ。4年に一度の法定点検以外にも、年1回ずつ保守点検で訪問しており、顧客と顔を合わせる接点を生かしていく」
 -東北電管内の新電力への切り替え率は全契約数の約4%にとどまっている。
 「電力を自由に選べることが各家庭にまだまだ浸透していない。生活支援につながるサービスであることを地道に説明していく」
 -シナネンの地域別販売会社として15年4月に分社化して発足した。
 「東北は4支店と20店舗に社員約220人がおり、売上高は年間約160億円に上る。分社化によってより地域に根差し、スピード感を持って事業ができるようになったが、人口減少の影響で国内のLPガス消費量は年3%ずつ減っており、先行きは厳しい」
 「太陽光パネルや床暖房といった住宅設備の販売、リフォームなど生活関連のサービスを拡充し、総合エネルギーサービス企業を目指している。地域密着の業務を通じて『ミライフ』の認知度アップを図り、収益拡大に努めたい」
 
◆私たちミライフ東日本は、総合エネルギーサービス企業として石油・LPガス・電力といったエネルギー供給を事業の中心にお客様と共に歩んでおります。
お客様目線を持った社員集団として、信頼され選ばれる会社となるべく、ライフスタイルのニーズの変化に合わせてサービスメニューを増やし、新たな価値を創造して、規制緩和によって業者間の垣根が取り払われたエネルギー大競争時代に立ち向かって参りました。
これからも、目まぐるしく変化する環境のもと、立ち止まることなく迅速に適応して参ります。そしてお客様に明るい未来と豊かな暮らしを提供し続けることが私たちの社会的使命と自覚し、地域すべてのお客様に、快適な住まいと暮らしのサービスをお届けして参ります。
今後とも、変わらぬご厚誼とご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
代表取締役社長 平岡哲美

★ミライフ東日本株式会社
http://www.melife-east.co.jp/index.html
本 社
〒983-0034 宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL:022-239-5712 (代表)
設 立
1986年5月28日
資本金
2億円
代表者
代表取締役社長 平岡 哲美
★平岡哲美(ひらおか・てつみ)は商社勤務を経て、12年4月シナネン常勤顧問に就任。同6月常務CCO兼管理本部長、15年6月ミライフ副社長、17年6月から現職。63歳。福岡県出身。
従業員数 252名 ※平成28年4月1日現在
 
■主要グループ会社
シナネンホールディングス株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7100
■ミライフ北海道株式会社
〒063-0846
北海道札幌市西区八軒六条西十一丁目1番1号
TEL: 011-611-3261
■株式会社いいつか
〒019-0505
秋田県横手市十文字町仁井田八萩73-1
TEL: 0182-42-1455
■株式会社シナネン東北ひまわりガスセンター
〒983-0034
宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL: 022-235-1910
■株式会社庄内品川
〒998-0036
山形県酒田市船場町1-8-13
TEL: 0234-22-7345

■グループ会社
■ミライフ北海道株式会社
〒063-0846
北海道札幌市西区八軒6条西11-1-1
TEL: 011-611-3261
■ミライフ東日本株式会社
〒983-0034
宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL: 022-239-5712
■株式会社シナネン東北ひまわりガスセンター
〒983-0034
宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL: 022-235-1910
■株式会社いいつか
〒019-0505
秋田県横手市十文字町仁井田八萩73-1
TEL: 0182-42-1455
■タカラビルメン株式会社
〒301-0002
茨城県龍ケ崎市中根台4-10-1
TEL: 0297-66-7111
■日高都市ガス株式会社
〒350-1233
埼玉県日高市下鹿山473
TEL: 042-989-4041
■品川開発株式会社
〒105-0012
東京都港区芝大門1-3-8 アトラス芝大門2階
TEL: 03-5425-4631
シナネン株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7327
■太陽光サポートセンター株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7126
シナネンサイクル株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7121
■株式会社ミノス
〒105-0022
東京都港区海岸2-2-6 プレミア海岸ビル5階
TEL: 03-6436-3871
シナネン石油株式会社
〒143-0016
東京都大田区大森北3-4-11 三笠ビル2階
TEL: 03-6404-8920
シナネンファシリティーズ株式会社
〒150-0011
東京都渋谷区東2-27-1 協和第一ビル
TEL: 03-3409-1305
■株式会社インデス
〒194-0013
東京都町田市原町田5-3-10 第2飯田ビル3F
TEL: 042-739-4404
シナネンライフサポート株式会社
〒950-0914
新潟県新潟市中央区紫竹山6-3-47
TEL: 025-247-7571
■株式会社シナネンゼオミック
〒455-0051
愛知県名古屋市港区中川本町1-1
TEL: 052-653-3201
■株式会社シナネン中部ひまわりガスセンター
〒455-0051
愛知県名古屋市港区中川本町1-1
TEL: 052-651-5002
■ミライフ西日本株式会社
〒547-0004
大阪府大阪市平野区加美鞍作3-6-14
TEL: 06-6794-4711
■株式会社シナネン関西ひまわりガスセンター
〒581-0844
大阪府八尾市福栄町3-16-1
TEL: 0729-97-3692
■株式会社ハイネンひまわりガスセンター
〒920-0357
石川県金沢市佐奇森町ロ97
TEL: 076-268-3426
シナネンブラジル社
サンパウロ州イタポランガ
 

宮城県名取市北釜地区の特産メロン「北釜クイーン」復活! 6月17日販売再開~! メロンパンも?

東日本大震災津波で壊滅的な被害を受けた名取市北釜地区のビニールハウスで、特産のメロン「北釜クイーン」が収穫期を迎えている。生産を再開した昨年は満足できるメロンができなかったが、今年は順調に育っており、被災から立ち上がった生産者も手応えを感じている。同地区で17日にある復興イベント「北釜to楽市(トラック市)」で販売される。
 
 仙台空港近くの海沿いにある北釜地区は震災前、約120世帯が暮らしていた。砂地を生かしたメロン栽培が長年続けられており、特産の「北釜クイーン」は乳白色の果肉の柔らかい甘さが人気だった。
 
 同地区出身で、農業生産法人名取北釜ファーム社長さん(77)は20代でメロン栽培を始めた。若いころは会社勤めをしながら、40代で専業農家になった。震災の津波で亡くなった奥さん(当時67歳)と二人三脚で励んできた。
 
 収穫期には午前4時からハウスで作業し、昼間はメロンを求める客が次々と訪れた。奥さんは客とのおしゃべりが大好きで、カットしたメロンをおいしそうに食べるのを喜んだ。「友達もうんと増えて、母ちゃん一番楽しかったんじゃないかな」と懐かしむ。
 震災の日も、昼過ぎまで2人はメロンの苗作りに取り組んでいた。午後、社長さん外出先で揺れに襲われ、市内の小学校に避難した。3日目に集落の住民が避難した仙台空港に行くと、奥さんの姿はなく、翌日、流された車の中で見つかったと知らされた。
 
 奥さんを亡くし、ハウスもすべて流された。農業を再開する気力を奪われた社長さんの背中を押したのは「またメロンを食べたい」というなじみ客の声だった。地区住民と草刈りを始め、「みんなでやれば農業を再開できる」と、住民を説得して農地を借りた。
 
 農家7人が構成員となり、2014年12月に名取北釜ファームを設立。
国の支援でハウスを再建し、コマツナチンゲンサイなどの栽培を始めた。メロンは昨年、生産を再開した。皮が割れたりしたが、震災前と変わらない甘いメロンが実り、なじみ客や営農再開を支えてくれた人たちに贈った。
 
 「こんな立派なハウスができるなんて思ってなかった」。今月上旬、メロンが育つハウスの中でつぶやいた鈴木さん。流されたハウスのパイプが散らばった農地で、途方に暮れたあの頃から、6年がかりで自慢のメロンを実らせた。「うまくできたぞ」。今年取れたメロンを奥さんの仏前に供えるつもりだ。
 
 
名取市北釜地区の特産のメロン「北釜クイーン」は、津波の被害で生産ができない状態になったが、種の支援などを受け、販売を再開した。地元の市場では、店頭のものはすぐに売り切れた。
 
 ◆東日本大震災で甚大な被害を受けた名取市北釜地区で、特産のメロン「北釜クイーン」が7年ぶりの出荷を迎える。17日には同地区で開かれる「北釜TO楽トラック市いち」で約500個を販売する予定で、栽培する農業生産法人「名取北釜ファーム」社長の鈴木更治さん(77)は「待ってくれている人たちに、やっと食べてもらえる」と楽しみにしている。
 
 仙台空港の近く、海から500メートルほど内陸を南北に走る道路沿いに、約1・5キロ・メートルにわたってハウスが連なる。同ファームの農地約8ヘクタールに建てられた144棟のハウス群だ。
 
 北釜クイーンを栽培するのはそのうちの6棟。小ぶりな品種で、糖度や形を保つため1本のツルに作るのは2個だけ。のど越しの良い上品な甘さが特徴で、すぐに食べられるよう完熟で収穫する。
 
 鈴木さんは親の代からメロン栽培を始めた。生産量はそれほど多くなかったため、小売店などには流通させず、直売施設や全国各地へ発送して販売。季節になると、買い求める客の車が1日に20台ほど来るなど、収穫したメロンはその日のうちに完売した。
ファーム社長・鈴木さんは津波で犠牲「妻のためにも」と語る。
 
 しかし、震災で10メートル近い津波をかぶり、ハウスやトラクターなどが流失。一緒にメロン作りを手伝ってくれた奥さん(当時67歳)は、避難途中に車ごと津波にのまれ犠牲となった。
 
 2014年、鈴木さんら同地区の被災農家7軒で同ファームを設立し、チンゲンサイや雪菜などの生産を始めた。地元の種苗会社が廃業したためメロンの種は入手できなくなったが、鈴木さんは諦めなかった。
 
「今年も待ってます」「いつ頃から出るの」――。「メロンおばちゃん」と呼ばれて親しまれた一子さんのなじみ客からの声が後押しした。北釜クイーンの種を扱う業者を見つけ、昨年、試作にこぎつけた。
 
 震災前まで30軒ほどの農家がいた北釜地区だが、離農が進み、再開したのはごくわずか。それでも「農地もあるし、俺には農業しかないから頑張って北釜を盛り上げないと。母ちゃんのためにもね」と鈴木さん。初出荷のメロンは仏壇に供えるつもりだ。
 
※「北釜to楽市」では、弊社を含む地元で栽培された野菜を中心に、閖上の海産物、かまぼこ、お米、花、はちみつ、お菓子、手芸品、弊社を協賛する企業が出品する山形のさくらんぼ等を軽トラックやワゴン、テント等、計34台で販売予定です。出店者は、地元の農家、名取市で出店している企業・団体にこだわりました。

東日本大震災でかけがえのない多数の命と財産を流失し、残された私たちは手を取り合いここまで復活してきました。賛同していただいた地元の方や企業・団体の皆様のご協力で「北釜は元気だよ」と発信できるイベントにしていきたいと企画中です。

勿論「北釜to楽市」で北釜クイーンの販売を致しますので、どうぞお楽しみに!!!
 「北釜to楽市」は17日午前10時45分〜午後2時、名取市下増田台林の名取北釜ファームである。市内で被災した農家や水産加工業者、商店主らが軽トラックなど30台以上に商品を載せて販売する。荒天中止。問い合わせは同ファーム(022・796・8318)。
 
東日本大震災で被災し、出荷が途絶えていた宮城県名取市特産メロン「北釜クイーン」が今月下旬、7年ぶりに復活することになり、宮城農高の生徒とパン製造販売のパンセ(仙台市)がメロン商品の共同開発に乗り出した。生徒のアイデアを基に同社が商品化し、パンセ名取本館で販売。北釜クイーンの再出発を後押しする。
 
★北釜クィーン
甘く、みずみずしい味わい
 全国に名を馳せる名取ブランドの一つ、北釜のメロン。温暖な風土を誇り、良質な水の確保が可能な名取の地に注目し、栽培に創意工夫をこらした特産品です。甘く、みずみずしい味わいは評価も高く、市場からの指名買いも増えています。形の良さ、品質の安定化に、丹精込めて育てあげる生産者の熱意と、たゆまぬ努力の成果が映しだされています。
 

気仙沼市の気仙沼漁港に14日、カツオ一本釣り船が今年初めて入港

20年連続で生鮮カツオ水揚げ日本一を誇る気仙沼市気仙沼漁港に14日、カツオ一本釣り船が今年初めて入港した。
 
 午前9時すぎ、三重県志摩市の第27源吉丸(149トン)が入港。千葉県銚子沖で捕れたカツオ17トンを船員が1匹ずつ手作業で水揚げした。山本漁労長(39)は「これから続々と気仙沼に水揚げされる。おいしいカツオを食べてほしい」と話した。
 
2016年の魚市場の生鮮カツオ水揚げ量は、一本釣りと巻き網合わせて1万9422トン。そのうち7割を一本釣り船が占めた。
 
★カツオとは
カツオ(鰹、松魚、堅魚、英: skipjack tuna学名 Katsuwonus pelamis )は、スズキ目・サバ科に属する魚の一種。暖海・外洋性の大型肉食魚で、1属1種(カツオ属 Katsuwonus)を構成する。
 
刺身やたたきなどで食用にする他、鰹節の原料でもあり、日本の魚食文化とは古くから密接な関係がある。また、鰹の漁が盛んな地域では郷土料理として鰹料理が多い。
地方名やマナガツオ・ソウダガツオやハガツオとの判別名としてホンガツオ、マガツオ(各地)コヤツ、ビンゴ(仙台 : 若魚)ヤタ(仙台 : 成魚)サツウ(小名浜)マンダラ(北陸)スジガツオ(和歌山・高知)などがある。
 
全世界の熱帯・温帯海域に広く分布する。日本では太平洋側に多く、日本海側では稀である。摂氏19 - 23度程度の暖かい海を好み、南洋では一年中見られるが、日本近海では黒潮に沿って春に北上・秋に南下という季節的な回遊を行う。食性は肉食性で、魚、甲殻類、頭足類など小動物を幅広く捕食する。
 
また、流木やヒゲクジラ(主にニタリクジラ、カツオクジラ)、ジンベエザメの周辺に群がる習性もある。これはカジキから身を護るためといわれているが、反面カツオが集めた鰯を鯨が食べたりもするため、水産庁では共生ではないかと指摘されている。これらの群れは「鯨付き」、「鮫付き」と呼ばれ、「鳥付き」とともに、漁業の際のカツオ群を見つける目安にもなっている。
カツオは、日本の水産業において重要な位置を占める魚種の中にある一つとされている。

日本の太平洋沿岸に生息するカツオは、夏に黒潮親潮とがぶつかる三陸海岸沖辺りまで北上し、秋に親潮勢力が強くなると南下する。夏の到来を告げるその年初めてのカツオの水揚げを「初鰹(はつがつお)」と呼び、珍重される。脂が乗っていないためさっぱりとしており、この味を好む人もいるが、3月初旬の頃のものは型が揃わず、比較的安価である。脂が乗りだすと高値になっていく。
 
初鰹は港によって時期がずれるが、食品業界では漁獲高の大きい高知県の初鰹の時期(4月~6月ごろ)をもって毎年の「初鰹」としており、消費者にも浸透している。南下するカツオは「戻り鰹」と呼ばれ、低い海水温の影響で脂が乗っており、北上時とは異なる食味となる。戻り鰹の時期も港によってずれがあるが、一般的には秋の味として受け入れられている。
 
北上から南下に転じる宮城県金華山沖では、「初鰹」といっても脂がのっているため、西日本ほどの季節による食味の違いがない。また、南下は海水温に依存しており、陸上の気温との違いがあるため、秋になった頃には既にカツオはいない。
 
気仙沼漁港とは
気仙沼漁港(けせんぬま ぎょこう)は、太平洋に面した日本の漁港の一つ。宮城県気仙沼市気仙沼湾奥部に所在する、特定第3種漁港である。
世界三大漁場  の一つである三陸沖を操業域とする漁船の主要な水揚げ港の一つであると同時に、日本の遠洋漁業(主にマグロ)の基地の一つとなっている。
概要
2007年(平成19年)と2008年(平成20年)は、水揚げ高で東北地方内第1位であった。2008年の水揚げ高はおよそ280億円。
管理者:宮城県
漁業協同組合:気仙沼気仙沼地区
組合員数:419名(2001年12月)
漁港番号:1430010
水揚げ量:86,000t (2004年。全国第8位)
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う地盤沈下および津波によって大きな被害を受けた。沖合漁業のカツオ漁船の受け入れを水産業復興の第一歩とするべく、シーズンが始まる6月下旬までに当港の総延長1kmの水揚岸壁のうち200mに応急的なかさ上げを施行。同年6月23日に気仙沼市魚市場を再開し、同月28日に静岡県のカツオ巻き網漁船が入港して震災後初水揚げに漕ぎ着けた。ただし、津波被害を受けたバックヤード施設(冷凍・冷蔵・加工施設)の復旧は間に合わず、生鮮出荷限定の再開であった。その後、沿岸漁業遠洋漁業などにも取り扱いを拡大。漁港・商港および水産加工地区のかさ上げも本格着工し、バックヤード施設の本格復旧も始まっている。 
 
◆歴史
1951年(昭和26年)7月10日 - 第3種漁港に指定(農林省告示第255号)。
1962年(昭和37年)3月30日 - 区域変更(農林省告示第432号)。
1960年(昭和35年)5月24日 - 同月22日に発生したチリ地震に伴う津波で被害を受けた。
1969年(昭和44年)3月3日 - 特定第3種漁港に指定(政令第16号)。
2010年(平成22年)2月28日 - 同月27日に発生したチリ地震に伴う津波で一部浸水。海中の養殖施設に被害は出たが、陸上の被害は軽微だった。
2011年(平成23年
3月11日 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により地盤沈下に見舞われ、続いて津波が来襲して甚大な被害を受けた。
3月20日 - 陸路が遮断される中、支援隊を発足した日本かつお・まぐろ漁業協同組合三浦市などが神奈川県の三崎漁港にて日本全国から集まった救援物資を支援船「第11八幡丸」(気仙沼漁港所属)に積み込み、第1便として出港。22日に気仙沼漁港に入港。物資は陸揚げされ、自衛隊などを通じて気仙沼市に引き渡された。
6月23日 - 気仙沼魚市場が再開。
6月28日 - 震災後初のカツオ水揚げ。
8月1日 - 沿岸漁業の水産物の水揚げ再開。
8月24日 - 震災後初のサンマ水揚げ。
 
◆水産物
水揚げ魚種
カツオ、および、サメ類(主にネズミザメ[俗称:モウカザメ])を始めとして、サンマ、カジキ類などで日本有数の水揚げを誇る。
2004年度(平成16年度)の陸揚量全国順位は以下のとおり。
第1位 - サメ、カジキ、エビ、シイラ
第3位 - サンマ
第5位 - カツオ
 
◆特産物
フカヒレの生産量では日本一を誇り、カキ、ホタテガイ、アワビ、ウニ、ワカメ、コンブなどの魚介藻類も特産である。
 
◆主な漁業
近海マグロの延縄(はえなわ)漁業
近海カツオの一本釣り漁業
敷網漁業(サンマ棒受網漁業)
大目流網漁業 :対象魚は、メカジキ、マカジキ、ネズミザメ(モウカザメ)。
旋網(まきあみ)漁業 :対象魚は、マグロ、カツオ、サバ、イワシなど。
定置網漁業 :対象魚は、ブリ、サバ、イワシ、イカ、サケ、マス、ヒラメ、スズキ、ニシンなど。
イカ釣り漁業
底引き網漁業
地引き網漁業
海面養殖業(水面養殖漁業)

★一本釣りとは
1本の糸に1〜数個の釣針をつけて釣る漁法。
長い糸にたくさんの釣針をつけて行うはえなわ(延縄)に対するもの。対象魚によって釣りの仕掛けや釣り針などがくふうされ、釣り餌(えさ)には生餌(いきえ)以外の擬餌(ぎじ)も用いられる。
一本釣り漁法は、網漁具では操業できない深い所、潮流の速い所、岩礁地帯などでも操業でき、また魚群密度の薄い所などにも適している。また、一本釣りは、海、河川、湖沼などあらゆる水域で多くの魚類が対象とされ、個人の釣り技術の巧拙が顕著に結果に現れるため、レジャーとしても多くの関心が寄せられ、盛んである。なお、一本釣りにはカツオ釣り機やイカ釣り機などの漁業機械も用いられている。
 
一本釣りは最も古くから見られる漁法の一つで,縄文時代の遺跡から骨製の釣針やいわ(沈子)の遺物が多数発見されているので,すでにこのころから行われていたことは確かである。 一本釣りにはさお釣り,手釣り,引縄が含まれる。さお釣りはさおの先に釣糸をつけて釣針を操作するのに対し,手釣りは直接釣糸を手で保持して操作する。
釣具を操作して,魚が釣針に掛かるごとに引上げて獲物をとる漁法で,竿が使われる竿釣りと釣糸を手に持って操作する手釣りがある。カツオ,サバ,イカなどを目的とした一本釣りが盛んであるが,特にイカなどでは自動釣機の発達普及がみられる。
 
◆世界三大漁場
○北西太平洋漁場(三陸沖、日本海東シナ海オホーツク海
○北東大西洋漁場(北海、ドッガーバンク、グレートフィッシャーバンク、アイリッシュ海
○北西大西洋漁場(ニューファンドランド島周辺海域、グランドバンク)
北海付近とカナダの東部です。
 
 
 

宮里藍「モチベーション(意欲)の維持が難しくなった」と引退の理由を語る

29日(月)、宮里藍が都内のホテルにて会見を行い、引退を決意するに至った経緯、理由について語った。

多くのシャッターと共に入場した宮里は冒頭で今の気持ちについて「寂しさよりも、これだけたくさんの人に支えらえて感謝で胸いっぱいです」と話した宮里。理由について述べた。
「2012年のメジャーが全部終えたときに“こんなに調子が良いのにメジャーを勝てなかったら次はどうしたらいいんだろう”と立ち止まってしまって。そこで悩んでしまった。メンタルコーチと話したのが次のカナダの試合。そこで初めて自分の中で次何を目標にしたらいいのか分からないと話しました。メンタルコーチは“焦らなくていいんじゃないか、どの選手にも起こり得ること。一度模索したら?”とアドバイスをくれました」
「私はモチベーションがなくなったからやめるとは思っていませんでした。ただ第一線で結果を残していくためにはすごいエネルギーが必要。私がとても感じている。そんなに甘い世界ではない。限界を感じてしまったうえでの今回の決断」と語った。
引退を決断したのは昨年の夏。「オリンピックで3週間くらいツアーが休みになった時期に決めました。プロになっての初めての長期休みで、自分の気持ちについてゆっくり考える時間がありました。それまではずっとモヤモヤがあっても試合はこなしていかないといけないので。試合になればそこにエネルギーを使う。試合が無かった3週間で自分の中で整理をつけられました」。

今季限りでの現役引退を26日に表明した女子ゴルフの宮里藍(31)が29日、東京都内のホテルで記者会見し、昨年夏ごろに引退を決意したことを明らかにした上で「モチベーション(意欲)の維持が難しくなったことが一番」と理由を話した。
 
★宮里 藍(みやざと あい、1985年6月19日 - )は、日本の女子プロゴルファーである。
愛称は「藍ちゃん」。サントリー所属。血液型はB型。
生年月日1985年6月19日(31歳)
出身校 東北高校 『東北高等学校(とうほくこうとうがっこう)は、学校法人南光学園が運営する私立高等学校。宮城県仙台市に所在する』。
趣味 映画鑑賞、音楽鑑賞
身長155 cm
体重52 kg
国籍日本
出身地沖縄県国頭郡東村
経歴
プロ転向 2003年
生い立ち
沖縄県国頭郡東村生まれ。
「藍」の名前の由来は父が辞書で調べると最初の方に出てくる名前でトップがとれるようにという理由とのことである。
宮里家は3人兄弟の家族で、藍は末の妹である。兄の宮里聖志宮里優作(同じ誕生日)とともに兄弟3人全員プロゴルファー。
次兄の優作が、仙台市にあるゴルフの名門・東北福祉大学在学中に「日本学生ゴルフ選手権」で3連覇するなど活躍していたこともあり、藍も優作を追う形で沖縄を出て、同じ仙台市にある東北高校に進学した。既に兄の優作の活躍は、在仙台局の夕方ニュース番組のスポーツコーナーで度々紹介されていたが、妹の藍も、高校2年で釜山アジア大会で金メダルを獲得し、アマチュアながら女子プロゴルフトーナメントに参加して、フジサンケイレディスクラシックで優勝争いに加わる(最終順位4位)など、上位に食い込む活躍を始めると「天才兄妹」として紹介されるようになった。高校3年になると、2003年(平成15年)6月に日本女子アマチュアゴルフ選手権競技で優勝。
プロ入り
同年9月26日 - 28日に仙台市に隣接する利府町で開催された「ミヤギテレビダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」で優勝[1]。10月9日にプロ宣言をして、史上初の高校生プロゴルファーとなった[2]。
※優勝記録
●JLPGAツアー
2003年
ミヤギテレビダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2004年
ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント
サントリーレディスオープンゴルフトーナメント
アピタサークルK・サンクスレディス
マスターズGCレディース
大王製紙エリエールレディスオープン
2005年
ヴァーナルレディース
中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン
キャタピラー三菱レディース
日本女子オープンゴルフ選手権競技
樋口久子IDC大塚家具レディス
大王製紙エリエールレディスオープン
2006年
日本女子プロゴルフ選手権大会コニカミノルタ
ミヤギテレビダンロップ女子オープンゴルフトーナメント
2009年
SANKYOレディースオープン
●LPGAツアー
2009年
エビアン・マスターズ
2010年
ホンダLPGAタイランド
HSBC女子チャンピオンズ
トレスマリアス選手権
ショップライトLPGAクラシック
セーフウェー・クラシック
2011年
エビアン・マスターズ
2012年
LPGAロッテ選手権
ウォルマートNWアーカンソー選手権
 

仙台・青葉まつり時代絵巻巡行、11基の山鉾(やまぼこ)の巡行、すずめ踊りの大流しで97万人の人出で盛り上がる

華麗な時代絵巻巡行が繰り広げられた21日の第33回仙台・青葉まつり(まつり協賛会主催)の「本まつり」では、仙台藩伊達政宗生誕450年を記念し、宇和島伊達家の13代当主宗信氏が時代行列に初参加。往時の姿でまつりを盛り上げた。
 総勢約5000人が参加し、青葉区の東二番丁通や定禅寺通などを練り歩いた。仙台藩伊達政宗の生誕450年を祝う先導隊が先頭を飾り、模型のサン・ファン・バウティスタ号や華やかな衣装の稚児行列が登場。11基の山鉾(やまぼこ)の巡行、すずめ踊りの大流しが続いた。
 
 勾当台公園と市民広場では、縁日屋台や東北各地の名物を味わえるイベントがあり、夏を思わせる暑さの中、大勢の来場者でにぎわった。

 宇和島伊達家は、政宗の長男秀宗が現在の愛媛県宇和島市に10万石の城下町を築いたことに始まり、仙台市は同市と歴史姉妹都市を締結している。宗信氏は、くわ形前立てのかぶとなどを身に着けて秀宗に扮(ふん)し、伊達家18代当主泰宗氏に続いて騎馬で登場。2人の当主が並び立つ姿に、沿道から盛んな拍手が送られた。
 
 見物した仙台市青葉区の無職男性(75)は「歴史や政宗には関心があったが、宇和島と仙台との深い結び付きを改めて実感できた」と話した。

 協賛会によると、20日の「宵まつり」と合わせた2日間の人出は97万1000人で過去最多を記録した。
 
★仙台・青葉まつり(せんだい・あおばまつり)は、毎年5月の第3日曜日とその前日の2日間、宮城県仙台市で開催される祭である。伊達政宗没後350年にあたる1985年(昭和60年)に、過去に存在した祭りを復活する形で始まった。
 
1985年(昭和60年)の伊達政宗没後350年に復活した祭りは、投資意欲の強かった石井亨仙台市長(在任期間:1984年12月23日 - 1993年7月3日)の時代に、バブル景気に加え、「独眼竜政宗」ブーム、仙台市営地下鉄開業、政令指定都市移行、市制100周年などを背景に拡充された。現在の祭りの主な構成要素は、「仙台祭」「青葉祭」双方で行われていた山鉾巡行および神輿渡御、「大崎八幡宮大祭」(旧暦8月15日)で奉納されていた踊りをもとに新しく作られたすずめ踊り、そして、祭りの復活が政宗没後350年であることもあって武者行列が加わっている。

祭りは仙台市都心部で行われる。祭りの1週間前には一番町をすずめ踊りで流し踊りする「一番おどり」が行われ、水曜日から山鉾が中心部のアーケードに飾られる。土曜日の「宵まつり」はすずめ踊りコンテストを中心に開催され、日曜日の「本まつり」では山鉾巡行青葉神社神輿渡御・武者行列・すずめ踊りなどが開催される。

なお、「仙台・青葉まつり」は、政宗の命日に行われていた青葉神社の祭礼「青葉祭」と歴史的に関係があるため、青葉神社神輿渡御が行われるが、青葉神社では「仙台・青葉まつり」とは別に「春の大祭」を政宗の命日に行っている。


※仙台すずめ踊り
すずめ踊り・雀踊り(すずめおどり)とは、19世紀頃に流行したと言われる奴踊りの一種で、奴装束に笠をかぶり三味線と歌に合せ雀の動作を真似た踊りである。
また、宮城県仙台市の仙台青葉まつりで踊られている踊りも「すずめ踊り」と名付けられている。 こちらの踊りは即興的要素が強いのが特徴である。
コンテスト
仙台すずめ踊りコンテストは土曜日の宵まつりに開催されている。表彰の部門分けや賞については頻繁に変更されているが、2007年(平成19年)には、一般部門の「すずめ踊り大賞」、中学生以下の「子すずめ踊り大賞」、高校生以上の学生の「学生祭連大賞」、各祭連代表による「祭連対抗個人戦」の4部門が開催された。

仙台市(せんだいし)は、宮城県の中部に位置する同県の県庁所在地かつ政令指定都市。また東北地方最大の都市でもある。
概要
仙台市都心部周囲には広瀬川青葉山などの自然があり、また都心部にも街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との別名をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。東北を代表する港湾およびサーフスポットである仙台港仙台塩釜港)が北東部に、宮城県内の純観光地の中で宿泊客数第1位を誇る秋保温泉が南西部に、宮城県内で利用者数1位を誇るスプリングバレー泉高原スキー場が北西部にある。中国では、魯迅が留学した都市として知られる。
 
現在の仙台市の推計人口は、東北地方の中で最も多い約108万人で、宮城県民の46.6%が居住し、秋田県よりも人口が多い。その仙台市が県内総生産の55.5%、県民所得の58.3%を占めており(2013年度)[1]、「仙台一極集中」と言われることがある。
また、仙台都市圏(広域行政圏)の推計人口は約153万人で、宮城県民の65.8%が居住する。このような集積度と東北における拠点性により、物販面では隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。
面積
786.30km2
総人口
1,080,263人
(推計人口、2017年4月1日)
登録人口:約104万人(住民基本台帳人口:約104万人。外国人登録:約1万人)
世帯数:477,857世帯
人口密度
1,370人/km2
隣接自治体
名取市多賀城市、富谷市、
宮城郡七ヶ浜町利府町
黒川郡大和町
柴田郡村田町、川崎町、
加美郡色麻町
山形県山形市尾花沢市東根市
市の木
ケヤキ
市の花
ハギ
市の鳥
市の虫
カッコウ
スズムシ
 
◆祭り
最も有名かつ、観客者数の多い仙台を代表する祭りは、仙台七夕まつりである。七夕祭りは藩政時代以来の歴史を持つ祭りで、市中の商店が名誉をかけて華美を競い合い、全国でも類を見ない華麗な七夕祭りになったとされる。東北四大夏祭りの1つに数えられており、中心部商店街では、期間中200万人以上の人出がある。
仙台初売り(1月2日 - )
どんと祭(1月14日夜) - 大崎八幡宮、仙台東照宮など市内各神社
仙台・青葉まつり(5月第3日曜日とその前日)
一番町三社まつり(7月 海の日前日) - 一番町
三滝山不動院大祭(7月27日・28日) - 中央通り(クリスロード商店街)
夏まつり・仙台すずめ踊り(7月28日) - 宮城野通り
仙台七夕花火祭(8月5日) - 西公園周辺
仙台七夕まつり(8月6・7・8日)
金蛇水神社祭典(8月最終日曜日) - 一番町
みちのくYOSAKOIまつり(10月)
天空のゆりガーデン(7月〜8月)
 
 

東北6県の夏祭りが競演する「東北絆まつり」(東北六魂祭の後継祭り)が仙台の中心市街で6月10日・11日に開催予定!

仙台の中心市街で6月10日・11日、東北6県の夏祭りが競演する「東北絆まつり」が開催される。
 東日本大震災の犠牲者への鎮魂と震災からの早期復興を願い、仙台・青森・秋田・盛岡・山形・福島の6市と「仙台七夕まつり」「青森ねぶた祭」「秋田竿燈(かんとう)まつり」「盛岡さんさ踊り」「山形花笠(はながさ)まつり」「福島わらじまつり」の実行委員会などが共同で2011年度から行ってきた。
2011年の「東北六魂祭」では36万人の来場があった。
会場は持ち回りで昨年の青森で一巡したことから今回、「復興に向かう東北の元気な姿を発信する新たな祭り」となる後継イベントとして名称を変え、再スタートを切る。
 奥山恵美子仙台市長は「6年かかって6市を巡る中で、一定の暮らしの復興も相当格差があるとはいえ見えてきた。さらに東北の未来に向けて発進し、もうワンランクステップアップしていくためにネーミングも新たに絆まつりと変えることは、さらなる東北の心意気を日本、世界に示していく中で大きな意味がある」と話す。
 
 
 新たな祭りのコンセプトは「多彩な東北が、熱い絆でひとつになる」。「東北の6つの市が一つになり、ここ仙台から未来に向けてスタートしていきたい。皆さまに東北の熱気あふれる祭りを堪能いただけるよう、準備に万全を期していく」と奥山市長。2日間で37万7000人の来場を見込む。
 メイン会場の西公園では、6つの夏祭りのステージイベントをはじめ、「ねぶた」「竿燈」「大わらじ」の展示、6市のPRブース、1品500円で東北のグルメを販売する「東北まるかじり広場」を展開する。勾当台公園市民広場では県内の特産品販売や観光PR、郷土芸能披露などの「みやぎ きずな市」、勾当台公園では6県のグルメを販売する「東北うまいもの広場」を展開する。
 10日は南町通から一番町四丁目商店街にかけて、「仙台すずめ踊り」「盛岡さんさ踊り」「山形花笠踊り」による「一番町商店街流し踊り」を行う。11日は定禅寺通から東二番丁通までの間で、同祭のメインイベントとなる6祭のパレード「東北絆まつりパレード」を実施。仙台藩伊達政宗公の生誕450年の節目の年に合わせ、「青葉まつり」の「政宗公山鉾(やまぼこ)」の巡行も予定する。
 奥山市長は「震災はわれわれにとって苦労や苦痛の多い痛ましいことではあったが、それによって新しい動き、波を東北にもたらしてくれたことも事実。そうしたものをしっかりと未来に向けてつなぎ留めて育てていくという意味でも、この東北絆まつりがシンボリックな意味合いを持つようにしていきたい」と意気込む。
 開催時間は、10日=10時~20時、 11日=10時~17時。
 
 
東北六魂祭(とうほくろっこんさい)は、東北6県の各県庁所在地(以下「東北6県都」)の代表的な6つの夏祭りを一同に集めた祭りである。
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の鎮魂と復興を願い、2011年より2016年まで東北6県都で持ち回り開催された。

来場者数
第1回(2011年): 36万人
第2回(2012年): 24.3万人
第3回(2013年): 25.0万人
第4回(2014年): 26.0万人
第5回(2015年): 26.0万人
第6回(2016年): 17.0万人
 
 
 
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