杜の都ふるさと便 

東日本大震災の復興・再生を祈願してみちのく&杜の都のニュースや話題等お伝えしています。

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宮城県山元町の被災者と内陸にある集団移転先の周辺住民がホッキガイとリンゴを煮込んだ「復興カレー」を一緒に考案

幸呼べ復興カレー ホッキガイとリンゴ入り


  東日本大震災で被害が出た山元町の被災者と内陸にある集団移転先の周辺住民が、特産のホッキガイとリンゴを煮込んだ「復興カレー」を一緒に考案した。地区への転入を前に、両者が仲良く暮らすという願いを、地元の山海の幸が融合した味に込めた。


  考案したのは、町が移転先として整備する宮城病院周辺地区の新市街地の転入予定者や周辺住民でつくる復興まちづくり協議会(復興協)のメンバー。1日に合戦原学堂で開いた復興協の親睦会で初披露した。
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  同町の磯浜漁港で水揚げされたホッキガイ80個を塩ゆでし、煮汁やすりおろしたリンゴを加えたルーをご飯に掛け、ゆでたむき身を乗せて完成。ホッキガイのシャキシャキした食感とリンゴの甘さで味を引き立てた。地元の野菜やこんにゃくを使った芋煮も添えた。
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  カレーの調理を担当した鈴木勝雄さん(67)は同漁港のある磯地区で被災した。「磯の住民は売り物にならないホッキガイをカレーにしてよく食べた」と懐かしむ。食べやすさと住民融和の象徴として、リンゴを入れるアレンジも加えた。
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  試食した約60人の評判は上々。花釜地区で被災したひとは「最高のごちそう。早く生活再建し、再びみんなと一緒に食べたい」と喜んだ。

  宮城病院周辺地区は敷地内の廃棄物処理が進まず、完成予定が当初の1年遅れの2017年3月にずれ込んだ。復興協の高橋清次会長(78)は「完成の遅れに転入予定者はいら立っている。周辺住民も交えて新しいまちの味を楽しんでもらい、一緒に仲良く暮らす意識を保ちたかった」と意図を説明。今後も調理する機会を設けたいという。

★山元町(やまもとちょう)は、宮城県の東南端の太平洋沿岸に位置する町である。

地理
町の地形は、西部が山地(森林)、中部が台地(畑・果樹園)、太平洋に面した東部が低地(水田)となっている。町内は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区の三つに分けられる。もとは国道6号線沿いの旧山下・坂元両村の役場が置かれていた辺りに人家が集中していたが、これらの部落はともに最寄駅(常磐線山下駅・坂元駅)からは離れており、電車を利用しての通勤・通学にはやや不便であったので、次第に常磐線沿いにも宅地が形成されていった。
山:大森山(315.1m)・深山(287.2m)・四方山(272.6m)・権現堂山(325.0m)
河川:戸花川・坂元川
年平均気温:12.2℃(2005年)
月平均降水量:88.17mm(2005年)


●山元町HP

山元町ホームページ トップページ

やまもとホッキ祭り:例年2月下旬

東日本大震災の影響により開催を検討しております)
毎年趣向を凝らしたイベントで大好評のホッキ祭り。山元特産のホッキ貝が味わえるおいしくて楽しいお祭りです。

 問い合わせ:山元町産業振興課 電話:0223-37-1119


歴史
承和元年(931年)頃に著された『和名類聚抄』に「曰理(わたり)郡に四郷を置く、すなわち坂本・菱沼・亘理・望多」とある。これが山元町域が史料上に現れた最初である。当時の人口は1,000人から1,500人ほどと推測される(一郷は50戸。一戸の人数はおおむね10人 - 15人)。
天喜4年(1056年)頃 - 亘理権大夫・藤原経清亘理郡に入部し、亘理地方を所領とする。町内の中嶋館が経清ないしその一族の居館と推定されている
元和2年(1616年) - 大條宗綱が坂元城に入部し、以降幕末まで大條氏が坂元本郷ほか4,000石を領す
安政2年(1855年) - 異国船が磯浜付近に出没
明治元年(1868年) - 戊辰戦争駒ヶ嶺城陥落後、奥羽越列藩同盟浜通り方面軍の本営が坂元城に置かれる
明治22年(1889年) - 町村制施行。山下村と坂元村が成立
昭和30年(1955年)2月1日 - 山下村と坂元村が合併し、山元町が発足
平成23年(2011年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。大津波により沿岸地区6部落が壊滅し、多数の死傷者を出す。

 

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
四方山・深山トレッキングコース
深山山麓少年の森(菱沼の郷)
社台グループ山元トレーニングセンター
唐船番所跡(磯崎山公園)
蓑首城跡
八重垣神社

祭り・イベント
ホッキ祭り - 2月下旬
ストロベリーラインふれあい市 - 6月上旬
八重垣神社(お天王様)祭礼 - 7月下旬
商工産業祭・文化祭 - 11月上旬
アップルラインふれあい市 - 11月下旬
やまもと食のまつり - 12月下旬

出身有名人
大川"Z"純司 - 歌手
大竹佑季 - 歌手
こおり健太 - 歌手
小坂誠 - 元プロ野球選手
土生洋一郎 - シンガーソングライター
ニコ・ニコルソン - イラストレーター 漫画家

★ウバガイ(姥貝、学名 Pseudocardium sachalinense)は、二枚貝綱異歯亜綱バカガイ上科バカガイ科の1種。水産物としてはむしろホッキガイ(北寄貝)という別名で呼ぶのが日本語において一般的である。アイヌ語ではポクセイ(poksey)、トゥットゥレプ(tutturep)などの呼び名がある。季語、三冬。


形態
成貝の殻長は10cm以上になり、殻は厚くそれ自体は淡色であるが、褐色の殻皮におおわれるため全体に黒ずんだ色に見える。同じバカガイ科に属するミルクイにも似ているが、ミルクイは殻がずっと横長で、常に殻外に出ている太く長い水管を持ち、殻の後端には水管を出すための大きな隙間があるが、ウバガイの水管はそれほどには大きくなく、二枚の殻を閉じると完全に内部に収納され、殻にもほとんど隙間がなくなる。

幼貝のうちは殻全体が白色から黄白色で、同じバカガイ科のシオフキによく似た形をしているが、シオフキは内湾性であるため生息環境から区別できる。一方、ウバガイと同所的に生息するヒメバカガイ Mactra crossei とは成貝では全く異なるが、1cm以下のものは非常によく似ている上に、混生していることも多い。

これらを区別するには殻頂に残る初期稚貝の殻を高倍率で観察する。通常、全く色彩のないものがウバガイで、褐色から帯紅色が点状に見られるのがヒメバカガイである。これは内湾性のシオフキとバカガイの幼貝の区別でも同様で、通常色彩の無いものがシオフキ、彩色されるのがバカガイである。

日本海北部と茨城県以北の太平洋、シベリア沿岸まで分布し、冷水域の外洋に面した浅い海の砂底に生息する。

日本における漁業
第一種共同漁業権に基づき行われる。代表的な漁法は小型底びき網(桁網)である。生息域が重複するホタテガイとは異なり、海底の砂に潜る習性があるため、ジェット水流で掘りながら漁獲する場合が多い。この他、海上から一個ずつ挟み採る漁法も少数ながら行われており、この漁法によるものは傷が少ないなどの理由で高価で取引される。

北海道から福島県沿岸の太平洋側で漁獲される。北海道苫小牧での漁獲高が日本一のため苫小牧市の貝に指定された。北海道では一般的な寿司ネタであったが、近年[いつ?]知名度が向上し、関東地方でも一般に流通するようになった。宮城県山元町では毎年2月に「ホッキ祭り」が開かれる。

日本国内のホッキ貝漁獲量
2008年度  (苫小牧市産業経済部調べ)
第1位 - 苫小牧漁港 825t (北海道)第2位 - 別海漁港 549t (北海道)第3位 - 三沢漁港 489t (青森県)第4位 - 根室漁港 460t (北海道)第5位 - 釧路漁港 324t (北海道)

食用
加熱したものは白い地に3分の1程度赤みがかった部分があるが、生のものはこの赤色の部分が黒っぽい色をしている。

北海道・東北地方(太平洋側)では、炊き込みご飯(まぜご飯)の「ほっき飯」の具として利用されたり、刺身、煮付け、佃煮、バター焼き、天麩羅など。
刺身や寿司種としても用いられる。1990年代以降、回転寿司のネタとしても一般的になりつつある。

北海道苫小牧市福島県では、ホッキカレーが地域食の一つになっている。
母恋めし - 北海道室蘭市の母恋駅の駅弁。ホッキガイの炊き込みご飯で握ったおにぎりが含まれる。

 

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