杜の都ふるさと便 

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お笑いコンビ・サンドウィッチマンが10日、宮城県庁を訪問。1200万円を超える『東北魂義援金』を手渡す

■3月11日で、多くの犠牲者を出した東日本大震災から4年が経つ。震災前と変わらない生活を取り戻した地域がある一方、今もなお復興の進捗が見えない地域が多く存在するのも事実である。

そんな中、震災直後に義援金口座を開設し東北への支援を続けてきたお笑いコンビ・サンドウィッチマンが10日、宮城県庁を訪問。1200万円を超える『東北魂義援金』を手渡ししたことを報告した。

サンドウィッチマン伊達みきおは10日、 「届けてきました!」のタイトルでブログを更新。同日に宮城県庁を訪れ、自らが設立した『東北魂義援金』を寄付したことを報告した。

今回、寄付した額は12,045,221円。「全国の皆様からお預かりした貴重なお金です。責任を持って、しっかり届けて来ました」と綴った伊達、その義援金にはとんねるず木梨憲武からの『木梨サイクル×東北魂』のコラボチャリティーTシャツの売上金や、木梨の絵画展にて設置された募金箱の金額も含まれているそうだ。

2011年3月16日にサンドウィッチマンが開設した『東北魂義援金』は、東日本大震災被災した岩手県宮城県福島県の3県を順番に届けており、震災遺児・孤児となった子供たちのために使われている。

今回の義援金を含め、述べ3億8000万円の義援金を各地に届けてきたというサンドウィッチマン。伊達は「振込をしてくれた方々のリストを見ると、毎月11日の月命日に決まった額を振り込んで下さる方や、様々な会社からの振込もあったり、いつも応援してくれている『29人のサンドファミリー』からもあったなぁ」と明かす。

「更には、誰もが知っている著名人からの振込も…確認したら御本人でした。本当にありがたい限りです!」と協力者への感謝の気持ちを伝え、「サンドウィッチマンとして、長期的な支援をこれからも継続して参りますので何卒宜しくお願い致します」と変わらない支援を呼び掛けている。

一方で、相方の富澤たけしも自身のブログを更新。2011年からの義援金の詳細を公開し、「皆様のあたたかい気持ちを今回も無事に届けられました。本当にありがとうございます」と感謝の意を述べた。

変わらない支援を続ける2人に、読者からは「微々たる協力ですが今後もサンドさんを応援してます」「お二人の力や影響力は大きく、きっと被災地の方々に勇気を与えていらっしゃると思います!」という応援コメントや、「いつも私達に寄り添って下さってありがとうございます」という被災者からの感謝のコメントが寄せられている。

11日は気仙沼で黙とうをささげるという2人。伊達は「あの日を含めると、気仙沼で過ごすのはもう5回目の3月11日なんだなぁ」と複雑な思いを記している。未曾有の被害をもたらした東日本大震災から4年。まだまだ私達にできることはたくさんあるだろう。


サンドウィッチマンおすすめ。“仙台あおば餃子”は「復興の味」。
 
仙台グルメを紹介したサンドウィッチマン

 
お笑いコンビ・サンドウィッチマンがバラエティ番組で仙台のおすすめグルメを紹介。その中で、今注目の“仙台あおば餃子”が生まれた経緯を聞いて「復興の味ですね」とじっくり味わった。

2011年3月11日、東日本大震災が発生して津波が街を襲った時、サンドウィッチマン宮城県気仙沼市でロケ中だった。2人は避難して無事だったが悲惨な光景を目の当たりにする。以降、ブログで被災地の現状を伝え、2011年3月16日に『東北魂義援金』を開設。今も東北への支援を続けている。

伊達みきお仙台市泉区出身、東京生まれの富澤たけしも10歳で仙台市へ移り住んだ。
そんな2人が3月8日放送のバラエティ番組『シューイチ』(日本テレビ系)で“サンドウィッチマンと巡る仙台グルメ”に出演した。仙台の景色や七夕まつり、海鮮などを紹介する中で、「仙台の新名物」とおすすめしたのが“仙台マーボー焼そば”だ。

特に、富澤たけしは麻婆豆腐が大好きで、外食すると必ずというほど注文する。その富澤もこの“仙台マーボー焼そば”を絶賛。ほどよい辛さに「うまーぼー」と唸った。実はこの“仙台マーボー焼そば”、宮城県中華飲食生活衛生同業組合が『マーボー焼そば推進委員会』を作るほど力を入れており、「認定証」を発行している。現在、認定店は約50店舗に上る。

そしてもう1つ、サンドウィッチマンが訪れたのが、「昼はラーメン、夜は餃子専門居酒屋」となるお店、『一番五郎』だった。店主の杉山さんが考案した“仙台あおば餃子”もまた「仙台の新グルメ」として評判だ。仙台産雪菜を皮と具に練りこんだ緑色の餃子で、もちもちとした食感がありながら、具に入った雪菜の歯ごたえも楽しめる。サンドウィッチマンも「ジューシー」、「さっぱりしてヘルシー」だと“仙台の新グルメ”に納得していた。

杉山さんは2009年に「仙台らしさを出したメニューを開発して欲しい」と依頼されてこの餃子を考案。仙台で店を出そうとしていたところ東日本大震災が発生した。津波による被害で街が壊滅状態となる中、杉山さんは2012年1月に『一番五郎』をオープンした。

そんないきさつを聞いて、伊達みきおが「復興の味ですね」とさらに味わった“仙台あおば餃子”。今では、仙台市のホームページで“仙台あおば餃子提供店情報”が掲載されるほどの人気商品となっている。

東日本大震災から4年が経ち、復興もまだまだ先が見えない状況だ。なんとか支援をしようと思いながら方法に迷う人も多いのではないか。前述の『東北魂義援金』をはじめ、こうしたグルメや名産品を知って利用することも被災地への応援となる。


サンドウィッチマンは、日本のお笑いコンビ。所属事務所はグレープカンパニー

1998年9月にコンビ結成。2007年M-1グランプリ王者。コンビ名はサンドウィッチマンに由来。元はトリオで活動していて、真ん中にいるメンバーがガリガリだったため、サンドウィッチのようだということでサンドウィッチマンと命名した。他に候補として三途の川、三角関係、三角州などがあった。


サンドウィッチマン SANDWICH MAN
メンバー
伊達みきお
富澤たけし

別名
サンド

結成年
1998年

事務所
フラットファイヴグレープカンパニー(2010年7月1日付)

活動時期
1998年 -

影響
さまぁ~ず

出会い
台商業高等学校ラグビー

現在の活動状況
テレビ・ライブなど

芸種
コント、漫才

ネタ作成者
富澤たけし

現在の代表番組
サンドのぼんやり〜ぬTV
サンドウィッチマンのラジオやらせろ!
SCHOOL NINE
バイキング

同期
麒麟
トータルテンボスなど

受賞歴

2007年 M-1グランプリ - 優勝 (敗者復活枠)
2009年 キングオブコント - 2位


メンバー
伊達みきお(だてみきお、本名:伊達 幹生、1974年9月5日 - A型)
宮城県仙台市泉区出身。ツッコミ担当(ネタによっては即興的なボケに回ることも)。仙台藩主伊達家分家・大條氏の末裔。特技は、ゆで卵と生卵を見分ける。愛称は、「伊達君」、「伊達ちゃん」、「おなべ」、「おなべちゃん」。有吉弘行に付けられたあだ名は、「田舎のポン引き」。

富澤たけし(とみざわたけし、本名:富澤 岳史、1974年4月30日 - AB型)
東京都出身。10歳の時に宮城県仙台市へ移住。極度の人見知り。その性格から『アメトーーク!』の「人見知り芸人」に出演している。ボケ担当(ネタによってはツッコミに回ることも)。ネタの大部分を作っている[1]。ネタ中では接客業の設定が多い。愛称は、「富澤君」、「トミー」、「おとみ」。有吉弘行に付けられたあだ名は、「哀しきモンスター」。


東京に進出をしてから9年間、M-1優勝までコンビ2人でアパートに同居していたが、現在はそれぞれ個別に部屋を借り、妻子と共に生活している(互いに2009年結婚)。この同居のエピソードが元で特に伊達がホモ疑惑を掛けられるが、メンバーはお互いが結婚するまで否定していた。ただし、否定を含めて番組などでネタにすることは何度かあった。

 

§コンビの共通点
身長は170cm前後、体重は90kg前後。しかしネタでは伊達の方がデブキャラ扱いされる事が多い。尚、トリオ時代のメンバーである浜田ツトムは体重こそ50キロ台だが身長はやはり二人と同じ170㎝あった。

2009年に結婚し、1児の父。本人達と同じく、子も同級生となる。
共に強面であり、2011年末の『アメトーーク!』特番ではプロレスネタにちなんで、富澤はプロレスラー、伊達はプロモーターと何度もいじられていた。

酒類が全く飲めない下戸。そのため、U字工事は飲み会で初めてサンドウィッチマンに会った時、あの風貌で、しかも上座に座っていたので恐れていたが、よく見ると2人ともメロンソーダを飲んでいたという。
現役の喫煙者。禁煙には一度も成功した事がなく、毎年互いの誕生日にはタバコをカートンで渡し合う。

地元の東北楽天ゴールデンイーグルスのファン。2004年までは野球関連にさほど興味が無く、伊達は横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の、富澤はヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)のファンだった。現在は楽天絡みの仕事も多い。富澤の携帯電話のメールは楽天メールマガジンしか来ないことがあった。

「水族館巡り」が共通の趣味で、新潟市水族館 マリンピア日本海にプライベートで訪れてから2ヶ月足らずの内に再度仕事として訪れた。

§来歴
2人は仙台商業高等学校(現仙台市立仙台商業高等学校)の同期生で、ラグビー部で知り合う。部員数が出場必要最低限の15人丁度である中で石巻工業と公式戦1回戦で対戦した際には、一方的な試合展開に耐えかねて自軍が途中棄権を申し出たが認められず、結局101対0の大敗を喫してしまった。

高校時代は現在の見た目とは正反対で、富澤は不良グループの1人で、伊達は優等生タイプであった。部活動では同じラグビー部に所属していたが、同じ学級にはなったことはない。また、現在では伊達が金髪で富澤が黒髪だが、デビュー当時は富澤が金髪で伊達が黒髪だったこともある。部活で知り合って以来の親友で、下積み時代から現在まで、口ゲンカはしょっちゅうだが殴り合いのケンカをしたことはない。

卒業後、お笑い芸人になりたかった富澤は、就職して正社員になると辞めにくいとの理由でピザ屋でのアルバイトをしていた。伊達は、福祉系の専門学校へ進学するが、3ヶ月で中退。父の斡旋で福祉関連の会社に就職し、サラリーマンとして生活してゆくつもりであった。

富澤は、1995年に創立された吉本興業仙台事務所(仙台吉本)への所属を目標に別の相方と組んで「ゆやゆよん」というコンビ名でアマチュア活動をしていたが、所属以前に仙台吉本が撤退してしまった。

仙台吉本が閉鎖されたため、富澤は、もともとは伊達と組みたかったので、既に福祉関係の仕事に就いていた伊達を誘い、3年かけて口説き落としたという。その背景には伊達が祖父の死に接して「人生、好きな事やらないとなあ」と悟り、会社を辞める決意をしたというエピソードがある。1998年に2人で上京(これは同期だったポプラ並木が上京し、お笑い芸人として活動を始めた影響とのこと)。

3年の期限を設けた。2人はまず『親不孝』というコンビを結成、その後、24歳の時に浜田ツトムを入れたトリオで『サンドウィッチマン』を結成。浜田が脱退(後に『メインストリート』というコンビで活動していた)した後も元のコンビ名には戻さず、そのままになっている。ライブではウケていたがテレビ関係者からは声がかからず、気がつけば30歳になっていた2人は2005年を「勝負の年」と決め、アルバイトを減らし、かたっぱしからライブに出演していた。ある日、遂にとあるライブにテレビカメラが入り日本テレビの番組『エンタの神様』への出演が決まった。

2005年5月28日に『エンタの神様』に初登場。これが初めてのテレビ出演となる。

かつてはホリプロやH・R事務局に所属していた。しかしお笑いの事を解っていないマネージャー等に、ネタの内容について注意される事を嫌い、自由にネタをできる会社を探したところ、フラットファイヴに所属する事になる。


M-1グランプリ2007において、ますだおかだアンタッチャブルに続く3組目の吉本外芸人にして、大会唯一の敗者復活枠からの優勝を果たす。

2007年10月27日、2人の母校・仙台商業高等学校の文化祭「仙商祭」に出演した。ただし、2人が在学中の頃の青葉区の校舎から、泉区に新築移転していた。この時のサンドウィッチマンの出演料は交通費代ということで10万円だった。2008年は単独ライブと日程が重なったため、出演できなかった。

2008年1月26日、仙台市泉中央副都心にあるイトーヨーカドー仙台泉店で、fmいずみサンドウィッチマンのラジオやらせろ!(仮)』の公開収録を行った(観衆は2000人)。宮城県知事から「みやぎ夢大使」に任命され、泉区長から区長賞を授与された。

2009年5月11日、伊達はフリーアナウンサー熊谷麻衣子と結婚することを自身のブログで公表し、2009年7月11日に挙式・入籍した。さらに、富澤は年下の一般人彼女と2009年4月2日に入籍していた事を、2009年6月8日に所属事務所を通じて公表した。

キングオブコント2009ではM-1との2冠を目指し出場し、決勝進出を果たす。1stラウンドを1位で折り返すものの、結果は東京03に逆転されて2位。翌年度以降は出場していない。

2010年7月1日より、2005年から約5年間所属していた事務所のフラットファイヴを離れ、担当マネージャーが立ちあげた(株)グレープカンパニーの所属となった。同時に、フラットファイヴに所属していた多くの芸人達も、ホロッコ・ブラジルマンを除く殆どが共に(株)グレープカンパニーへとそのまま移籍した。ただしこれはフラットファイヴの社長兼夫婦芸人であるホロッコがサンドウィッチマンM-1優勝に触発されてか漫才業を再開するようになったため、『元々、お二人の事務所ですから』という事で独立せざるを得ない状況だったという。

2011年3月、宮城県気仙沼市でのロケ中に東北地方太平洋沖地震が発生し被災したが、すぐに避難し2人ともブログで無事であることを報告。

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