杜の都ふるさと便 

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宮城県の仙石線 2015年5月30日からの全線運行を目指し13日試運転はじまる

仙石線がもうすぐ全通 移設区間で試運転はじまる
 

陸前大塚-東名間の松島湾を望む高架橋をJR仙石線の車両が試験走行する
 
 JR東日本仙台支社は13日、東日本大震災被災した仙石線の不通区間で列車の試運転を始めた。5月30日に予定される全線開通までほぼ毎日続け、走行の安全性などを確認する。


 試運転用の4両編成列車は午前10時半ごろ、仙台市宮城野区にある仙石線車両基地を出発。運転を見合わせている高城町宮城県松島町)-陸前小野(東松島市)間(10.5キロ)を、区間内の5駅に停車しながら約15分かけて走行した。夕方までに同区間を中心に計約30本運行。新たな線路が安全なことを確かめた。


 仙石線は、海岸線沿いの線路が津波の被害を受け、東松島市の東名、野蒜の両駅舎も流されるなどした。両駅は内陸側に約500~600メートル移して復旧工事が進められてきた。


 仙台支社の担当者は「やっとここまで来た。来月の運行再開に向け、試運転を通して安全に万全を期したい」と話した。

 

仙石線(せんせきせん)

仙石線(せんせきせん)は、宮城県仙台市青葉区あおば通駅から仙台駅を経由し宮城県石巻市石巻駅を結ぶ東日本旅客鉄道JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。このほか、陸前山下駅 - 石巻港駅間の日本貨物鉄道JR貨物)の貨物支線を持つ。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による被害を受けて、2012年(平成24年)3月現在高城町駅 - 陸前小野駅間が不通となっていたが、陸前大塚駅 - 陸前小野駅間の高台移転による新ルートの区間が完成したため、2015年(平成27年)5月30日から全線で運行を再開する予定である。

 

概要
名称は、起点(仙台市)と終点(石巻市)から1文字ずつ取って付けられた。

 

仙石線は私鉄である宮城電気鉄道の路線が1944年(昭和19年)の戦時買収により国有化された路線であり、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR東日本の路線となった。JR東日本が保有する営業路線の中では東北地方唯一、JRグループでは日本最北の直流電化路線である。

 

宮城電気鉄道として開業した当初から1,500Vの直流電化がされていたため、交流電化されている仙台地区のほかのJRの路線(東北本線仙山線常磐線など)とは分離された路線である。そのためか2WAYシートやATACSなど開発システムのテスト路線となることが多い。

 

駅間距離が短く、また、開業当初より仙台口においては1時間に2 - 3本の運行が行われていた。このため、国有化後、地元では国電と呼ばれていた。あるいはほかの国鉄路線と仙石線の駅がそれぞれ立地する松島や塩竈石巻などでは仙石線の駅を「電車駅」、ほかの国鉄路線の駅を「汽車駅」と呼ぶなどして区別していた。

 

東塩釜駅付近 - 高城町駅間は東北本線と併走するが、松島海岸 - 高城町間(葉山下付近)に東北本線の上り線と線路が繋がっている箇所があるものの、保線機械専用の渡り線で架線は張られておらず、列車の通過は不可能である。

 

東北本線と徒歩連絡が可能な駅もあるが、通しの乗車券は発売されない。仙台駅では、松島への観光に仙石線の利用を促す案内が行われる。これは、東北本線にも「松島駅」があるが、同駅と松島の観光地は1km程度離れており、松島海岸駅のほうが至便であるため(なお松島駅と松島海岸駅には選択乗車の設定がなされていたが、2002年12月に廃止された。

 

それ以降も東北本線または仙石線の一部が工事や輸送障害などで不通になる場合やイベント時に、一時的に松島方面までの乗車券類をもう一方の路線で利用可能にする特例が適用されることがある)。

 

松島海岸駅のホームの山側からは並行する東北本線の車両が県道の先に間近に見える。仙台駅 - 松島駅間と仙台駅 - 松島海岸駅間の運賃はともに410円である。一方、塩釜方面への案内は特にされてはいないが、仙台からの場合、観光目的地であるマリンゲート塩釜や鹽竈神社本塩釜駅が最寄りの下車駅となる。ただし、宮城県塩釜高等学校など東北本線塩釜駅の利用が至便な施設も存在する。

2000年(平成12年)に完成した仙台トンネルに新線が開通し、あおば通駅 - 陸前原ノ町駅間の約3.5kmが地下線となった。


路線データ
仙石線の路線図管轄・路線距離(営業キロ):全長50.8km(第一種区間。支線含む) 東日本旅客鉄道あおば通駅 - 石巻駅間 49.0km(第一種鉄道事業

日本貨物鉄道陸前山下駅 - 石巻港駅間 1.8km(第一種鉄道事業
陸前山下駅 - 石巻駅間 (1.4km)(第二種鉄道事業


軌間:1067mm
駅数:32 旅客駅:31(起終点駅含む) 仙石線所属の旅客駅に限定した場合、仙台駅(東北本線所属)と石巻駅(石巻線所属[1])が除外され、29駅となる。

貨物駅:1(石巻港駅

複線区間:あおば通駅 - 東塩釜
電化区間:あおば通駅 - 高城町駅間(直流1500V) 東日本大震災以前は陸前山下駅 - 石巻港駅間の貨物線をのぞき全線電化。陸前小野駅 - 石巻駅間は非電化で復旧。

閉塞方式 あおば通駅 - 東塩釜駅:ATC方式(移動閉塞式)
東塩釜駅 - 石巻駅:自動閉塞式(特殊)

保安装置 ATACS(あおば通駅 - 東塩釜駅)
ATS-Ps(東塩釜駅 - 石巻駅)

運転指令所:仙台総合指令室(仙石CTC、JR宮城野総合事務所内)
最高速度:95km/h

支線をのぞく全線がJR東日本仙台支社の管轄となっている。

沿線概況

仙石線は、仙台近郊の通勤・通学路線であると同時に、塩釜(塩竈)・松島などの観光地へのアクセス路線としての一面や、仙台・石巻間の都市間輸送の性格も兼ね備える路線である。

仙台駅の西側にあるあおば通駅が路線の起点である。

あおば通駅から陸前原ノ町駅付近までは仙台トンネルを通る地下線であるが、あおば通駅から榴ケ岡駅までが洪積台地の地下であり標高がやや高い。榴ケ岡駅を出て少し経つと長町-利府断層帯による段差に合わせて下り、断層の東側で一段低い所にある宮城野原公園総合運動場の前で大きく北東へ曲がる。

ここからは断層の際に沿って走り、陸前原ノ町駅で半地下駅となり、同駅を出てから地上に出る。地上に出ると、線路はそのまま高架となって国道45号と梅田川を跨ぎ、地上線となるのはそれからである。

ここからは断層の東側の地下水位の高い沖積平野であり、住宅地として不向きであったため、近年まで仙石線の南側のみを工業・流通団地としての利用に制限した。そのため、北側は田園風景が広がるが、近年小鶴新田駅が設置されて一部が市街化した。

福田町駅近くになると、古くからの住宅地が形成されている地区に入る。ここからが仙塩地区と呼ばれ、陸奥国国府・多賀城の時代から、七北田川両岸にある自然堤防上や松島丘陵上に人家が形成され、現在では市街地となっている地区となり、多賀城市塩竈市まで続く。なお、本塩釜駅付近は高架線であり眺めは良い。東塩釜駅から先は単線である。

線路は利府町と松島町で、松島丘陵をトンネルで通りながら、松島湾沿いを走る。この付近で仙石線東北本線は、並行するように線路が敷設されている。特に、利府町内においては線路が接近しており、列車の併走が見られる場合もある。

松島海岸駅は、日本三景・松島の観光の中心地である。また、陸前富山駅から東名駅にかけては奥松島の海岸線に沿うように線路が敷設されており、松島湾の眺めを楽しむことができる。東名駅からは東名運河(貞山運河)沿いを走る。

鳴瀬川を越えると、列車は石巻平野(仙北平野)の水田地帯の中を走る。そして石巻市内に入ると沿線に住宅地が多く見られるようになり、北上運河(貞山運河)を越えれば間もなく終点石巻駅である。

 

東日本大震災による影響

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、沿岸部に位置する軌道や駅の多くが津波による大きな被害を受けた。

震災当日、野蒜 - 東名間で上りあおば通行普通電車(1426S電車、M9編成)が津波に押し流され脱線大破、また、石巻駅では到着後のM7編成が冠水して被災した。さらに、野蒜 - 陸前小野間では石巻行き快速電車(3353S電車、M16編成)編成が孤立した。

地震直後より全線で不通となった仙石線は、震災当日から2週間以上を経た同年3月28日、仙台市内のあおば通駅 - 小鶴新田駅間でのみ運転が再開されたものの、翌月7日に発生した余震のために、再び全線で不通となった。

再度不通となったあおば通駅 - 小鶴新田駅間の営業は1週間余り後の同4月15日に再開され、次いで4月19日には小鶴新田駅から東塩釜駅までの営業も再開された。さらに、同5月28日には東塩釜駅から高城町駅までの営業も再開、これによって、仙台を起点とする区間においてはあおば通駅から高城町駅までが繋がることとなった。

一方、石巻寄りの区間については、震災発生から4か月余りを経た同年7月16日になって矢本駅 - 石巻駅間の営業が再開されたが、電化設備が復旧していないことなどから、電車ではなく気動車による運行となった。さらに陸前小野駅 - 矢本駅間が2012年3月17日に再開された。

復旧が手付かずの状態となっていた高城町駅(松島町) - 陸前小野駅東松島市)間であったが、JR東日本仙台支社は2012年(平成24年)1月、当該区間の一部内陸移設などによって、2015年(平成27年)度までに全線復旧させる方針を発表した。この区間の復旧工事の費用は100億円超で2013年(平成25年)度中に着工、線路が流出するなど被害の大きかった東松島市内の陸前小野駅から陸前大塚駅までの約6.4kmについては震災前よりも500メートル程度内陸に移設する。

また、この区間にあって駅舎が被害を受けた野蒜駅、東名駅の2駅も移設される。2014年7月30日には、復旧工事の目途が立ったことから、2015年6月までに全線再開することが発表され、2015年1月29日には全線再開日が同年5月30日と発表された。

また、東北本線の塩釜駅 - 松島駅間と線路が並行している仙石線の松島海岸駅 - 高城町駅間に、両線を連絡する接続線(仙石線東北本線接続線)を敷設し、仙石線の全線復旧が予定されている2015年(平成27年)5月30日から「仙石東北ライン」として東北本線の塩釜以南と仙石線高城町以北を相互直通運転する計画が発表されている

歴史
宮城電気鉄道により、1925年(大正14年)6月5日に仙台駅 - 西塩釜駅間が開業。以後順次延伸され、1928年(昭和3年)11月22日に仙台駅 - 石巻駅間が全通した。1944年(昭和19年)5月1日に戦時買収により国有化され、仙石線となった。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後はJR東日本の路線となっている。

日本で最初の地下路線
当初、宮城県庁付近を基点とする計画があり、東北本線との交差のため仙台駅 - 東七番丁駅(仙台東口駅)間は地下区間として建設されたが、これは日本で最初に開業した営業用の地下路線である。

この区間の開業は、日本初の地下鉄である東京地下鉄道(現在の東京地下鉄銀座線)の開業に先立つこと2年半であり、また郊外電車の地下乗り入れとしても神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線より3年早かった。

その後、宮城県庁までの延伸は資金難と仙台市電の開業により断念され、1952年(昭和27年)には路線短縮により地下区間が廃止となった。

廃止された地下区間は、2000年(平成12年)の再地下化までの間、仙台駅の北側にあった地下改札口(駅ビルの食料品売り場に改装され現存しない)や東北本線の各ホームと、仙石線ホームを結ぶ地下通路として利用されていた。

この地下区間は単線でありかつ距離が短かったこと、現存していないことなどから、現在はほとんど紹介されない存在となっている。現在の仙石線地下区間は前述の通り2000年に完成したもので、別物である。

 

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