杜の都ふるさと便 

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仙台市青葉区愛子(あやし)地区で、地元住民が出演するミュージック「カッパダ川」のビデオ制作が始る

「カッパダ川」ダンスで魅力PR 仙台・愛子
 
 
 仙台市青葉区愛子地区で、地元住民が出演するミュージックビデオの制作が始まった。地域を流れる通称「カッパダ川」のテーマ曲に合わせて住民が披露するダンスを撮影、編集して1曲分の映像を作る。1年をかけて撮影を続け、愛子地区の四季折々の風景をPRしたい考えだ。

 広瀬市民センターによる「カッパダ川プロジェクト」の一環。カッパダ川の愛称で親しまれていた地元の千代老堀(せんだいおいほり)を、ふるさとのシンボルにして盛り上げようという取り組みだ。

 2013年に地元の小学生と高校生が作詞、作曲し、テーマ曲ができた。14年には小学生2人のダンスユニット「カッパダ川ダンス部」を結成した。
 撮影は市民センターで11日にクランクインした。ダンス部の2人と、地元中高生でつくるボランティアサークル「くまっこ」のメンバー4人が息の合ったダンスを披露した。

 くまっこのメンバー北村由衣さん(17)は「楽しく踊れた。地元の曲なので、いろんな人に登場して盛り上がってほしい」と声を弾ませる。

 市民センターは今後、地元の町内会や行政機関、小中高校に出演を依頼し、丸1年間をかけて撮影する。地域の名所などを背景に愛子地区の魅力を収録。ビデオが完成した暁には、仙台CATVの番組「ことりTV」で放映される予定だ。

 プロジェクトを担当する市民センターの野田登美枝さん(55)は「多くの人に参加してもらうことで、地域の話題になり、住民同士のつながりが深まってほしい」と話している。

★愛子 あやし

愛子(あやし)の地名は、下愛子にある子愛(こあやし)観音(子安観音)に由来すると伝えられる。

(「あいこ」と読まずに「あやし」と読みます。)

戦国時代には国分氏の支配下にあった。諏訪神社の裏山にあった御殿館(こてん城)はその城の一つと考えられる。 国分氏は諏訪神社を厚く保護しており、御殿という名からもこの城が重要拠点だったと思われるが、江戸時代には野武士が立てこもった城と伝えられていた。

伊達氏は、上愛子村がある宮城郡の西部を国分郷と区分けして支配した。江戸時代に作られた『安永風土記書上』によれば、村高のうち20%(23貫589文)が御蔵入、80%(96貫809文)が御給所であった。広瀬川より高い位置にある愛子は、細流に小さなため池(「堤」という)や堰を作って用水としていたが、旱魃に弱い地であった。

愛子の人々は、江戸時代、明治時代にしばしば蕃山で雨乞いをした。天明の大飢饉で多数の犠牲者を出した1875年には、上・下愛子だけでなく国分33ヶ村が力をあわせ、藁で長さ25間(約45メートル)の大蛇を作って飾り立て、蕃山に奉納して雨乞いした。蛇の製作場所は上愛子の東原で、この出来事から蛇体原と呼ばれ、後に蛇台原と書かれた。

1890年に、上愛子の遠野原に原山苗畑事業所が設けられ、植林用の苗が作られた。跡地には1980年代から工場が入った。明治時代から1935年頃まで、広瀬川の開成橋の西で、川の水を溜め池に引いて製氷業が営まれた。冬の間氷を切り出して氷室に運び、後でこれを仙台方面に切り出して売ったのである。

1921年(大正10年)にサイカチ沼が、昭和になって月山池が作られた。これらは愛子ではなく、仙台市東部に農業用水を供給するものである。

1960年代から、国道沿いに中規模の工場が進出してきた。原山苗畑事業所が廃止になると、その跡地が松原工場団地となり、1980年代末から精密機械・電気機械の工場が建った。仙台の郊外部として人口が増え、1980年代には南東部の蕃山丘陵に錦ヶ丘団地が造成された。


●地理
広瀬川の中流右岸(南岸)にある。北は広瀬川で区切られ、南と西は山、東は下愛子村に接する。東西に細長い村の北半分は広瀬川河岸段丘で、南半分は標高が低い山地である。南西部の山5つをあわせて五ツ森という。南東部にあるサイカチ沼、月山池は農業用のため池である。東西に走る国道48号が街道の軸で、仙山線もこの方向に走る。

愛子を町の東西で川上と川下に分割したのが上愛子村と下愛子村である。愛子の宿場町は大部分が下愛子村にあり、上愛子村に属したのは西の一部であった。両村の境界は、現在の両地区の境界と微妙に異なり、現在の住所表示では、上愛子の全体と、愛子中央の3丁目から6丁目が昔の上愛子村にあたる。

1丁目と2丁目は両村にまたがり、境界は現在の仙台市立広瀬中学校の真ん中を通る南北線である。国道457号(作並街道)より南では、駅前の大通り(宮城県道134号愛子停車場線)から一本東の細い道がかつての村の境界であった。

宮城町の時代には、上愛子を東から上町、二岩、倉内、大針、赤生木という行政区にわけた。今は上愛子の西端にある白沢・道半は、名取郡長袋村に属し、村境は白沢川であった。しかし、1955年に宮城村に属することになり、上愛子に付けられた。

 

その後、仙台市のもとでは以前の秋保町に相当する秋保総合支所の管轄に入った。1989年1月9日にもとの宮城町に相当する宮城総合支所に管轄が移った。町内会は、上町、二岩、倉内、大針、赤生木、白沢の6区に分かれている。

河川 - 広瀬川、白沢川、堀切川
湖沼 - サイカチ沼、月山池

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