杜の都ふるさと便 

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キリンビール、ササニシキを副原料に使用した「一番搾り 仙台づくり」を発売 第1弾は女川町

城産ササニシキ ビールの副材料に
 

仙台工場限定醸造の「一番搾り 仙台づくり」

 キリンビールは19日、宮城県産のササニシキを副原料に使用した仙台工場限定の「一番搾り 仙台づくり」を数量限定で発売する。宮城県内を中心とする小売店向けに出荷し、一部の飲食店での提供も始まる。18日、仙台市宮城野区の同工場で初飲み会を開き、関係者が地域の味を試飲した。


 仙台づくりは副原料にササニシキを約10%使用し、ホップも東北産。麦芽のうまみをそのままにすっきりとした後味に仕上げた。350ミリリットル缶と中瓶(500ミリリットル)の2種類で、5万3000ケース(大瓶換算、1ケース20本)を出荷する。


 開発・醸造を担った仙台工場の萱場英樹醸造長は「地元、宮城の皆さんへの感謝の気持ちを形にした。地元食材が1番並ぶ家庭の食事とともに味わってほしい」と呼び掛けた。


 キリンビールは、仙台を含めた全国9工場でご当地一番搾りを製造。地域限定で販売する。

 

 仙台工場には18日、東日本大震災の復興支援として工場見学者用試飲ホールに、被災自治体の情報PRブースが設置された。

 

第1弾は宮城県女川町で、須田善明町長は「われわれの取り組みを多くの人に知ってほしい」と述べた。

 

★女川町

女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。

概要

町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。

また、町の南には石巻市とまたがって東北電力の女川原子力発電所があるが、現在は運転停止中。

女川町の由来

女川町西方背後にある黒森山の麓にあたる奥地に安野平(あのたいら)という所から流れ出る渓流がある。平安時代、安倍貞任の軍勢が隣村・稲井(現在の石巻市稲井)の館に寄り、源氏方の軍と戦ったとき、一族の婦女子を安全地帯であった安野平に避難させた。このことから、ここから流れ落ちる小川を「女川」と呼ぶようになった。

1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行された際、藩政時代の女川組20浜の各村を合併して女川村と称した。全地域を女川村と呼ぶに至ったのは、藩政時代初期から文政年代にわたって女川組20組の大肝入を勤めた丹野組が代々定住した土地であること、地理的に利益を得やすい所であったこと、さらに、全地域が大肝入時代の女川組でもあったので命名されたものと推測される。1926年(大正15年)4月1日に町制へ変更され、女川町となる。


2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所の震度計が震度6弱を観測した。 さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mを記録した。

津波で3階建ての町庁舎も冠水したが、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システムが壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った。

女川湾から約100mのところにあった七十七銀行女川支店では高さ約10mの屋上に行員が避難したが津波に飲み込まれた。

東北電力は女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した。女川原発の敷地の標高は14.8mであるが、地震で約1m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80cmの高さにまで迫っていたことが判明した。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3- 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという。

町域にある鉄道駅のうちJR石巻線の女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた。また、女川-石巻間では線路が損傷した。

更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている。
3月12日:津波被害で損壊著しい町庁舎に代えて、女川町立第一中学校(現・女川中学校)の校舎2階に女川町災害対策本部が置かれる。
3月23日:この時点で判明した人的被害は死者473人・行方不明者620人、物的被害はほとんど詳細不明。
3月31日:女川町公式ウェブサイトのホームページが臨時の状態ながら回復する。
4月21日:町の有志により、町内をエリアとする臨時災害放送局(FMラジオ 79.3MHz)「おながわさいがいエフエム」が開局し、女川町立第二小学校校庭に設置されたスタジオから24時間体制で放送を開始する。
5月26日:この時点で判明した人的被害は死者476人・行方不明者567人・重軽傷者2人、物的被害は全壊3,021棟・半壊46棟・一部破損86棟。
6月6日:この時点で判明した人的被害は死者488人・行方不明者454人