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仙台マーボー焼きそばを全国にPR、愛好家らでつくる「仙台マーボー焼そば研究会」が発足

仙台マーボー焼きそば研究会が発足
 

仙台商高の生徒らサポーターの登録証を受け取る


 
 仙台市のご当地グルメ、仙台マーボー焼きそばを全国にPRしようと、愛好家らでつくる「伊達美味(だてうま)・仙台マーボー焼そば研究会」が22日、発足した。

 市役所での発足式で、高橋克実会長は「仙台においしい食べ物があることを全国に伝え、仙台の観光の一翼を担えるようになりたい」と意気込みを語った。

 イベント出展時に協賛金を出す会員と、調理や販売を担うサポーターの募集も開始。仙台商高商業情報部の生徒4人が早速、最初のサポーター登録をした。

 生徒らは油麩(ふ)入りマーボー焼きそばのインスタント商品を開発し、インターネットで26日に発売する。副部長の2年三上友花さん(16)は「油麩にマーボーの味が染み込んでおいしくできた」と話した。

 研究会によると、仙台マーボー焼きそばを食べられる店は県内に49カ所ある。連絡先は研究会022(714)8321。

★仙台市立仙台商業高等学校(せんだいしりつ せんだいしょうぎょうこうとうがっこう)は、宮城県仙台市泉区七北田字古内に所在する市立高等学校。

概要
全国的には「仙台商(せんだいしょう)」と仙台都市圏では「仙商(せんしょう)」と略される。

1999年(平成11年)までは仙台二高に南接する青葉区川内地区(仙台市都心部の西側、広瀬川右岸)にあったが、老朽化のため現在地(泉中央副都心の西側)に移転した。校舎およびグラウンドの跡地は青葉山観光駐車場及び仙台二高の南校地の一部、そして仙台市地下鉄東西線・国際センター駅(仮称)の建設地となり、宮城県スポーツセンターの西側にあったプールの跡地は埋め立てられて仙台市博物館の臨時駐車場となり、宮城県美術館の西隣のグラウンドはテニスコートになった。

仙台市教育委員会では、統合と校名変更のあった2009年(平成21年)4月1日を設立年月日としている。

沿革
1896年(明治29年)7月1日 - 遠藤庸治初代仙台市長が市会にはかり、商業教育学校設立の認可をうける[1]。 9月1日 - 東北初の近代商業教育学校として、仙台市立町小学校の校舎内に間借りして創立。校名は「仙台市簡易商業学校」。なお、当時の立町小学校は、現在の西公園内に所在した(地図)。
12月26日 - 市内片平丁に校舎を新築移転(地図)。

1899年(明治32年) - 校名を「仙台市商業学校」と改称
1900年(明治33年) - 校名を「市立仙台商業学校」と改称
1906年(明治39年) - 市内上杉山通に校舎を新築移転(地図)
1919年(大正8年) - 校名を「仙台商業学校」と改称
1930年(昭和5年) - 財団法人宮城県社会事業協会が当校内に「仙台高等実務学校」を設置(後に当校の校舎から移転し、仙台法経専門学校となる)[2]。
1934年(昭和9年) - 文部省学制改革による学則の改正を行ない、公民科商工経営科を加設
1945年(昭和20年)7月10日 - 仙台空襲により校舎を全焼。北三番丁を挟んで南側に隣接する上杉山通小学校の一部で授業を継続
1948年(昭和23年) - 学制改革により仙台女子商業学絞を合併し、「仙台商業高等学校」と改称。市内長町鹿野屋敷(現・太白区鹿野1丁目)[3]に校舎を新築移転(地図)。しかし女子部は従来の通り仙台市五橋中学校の一部に置かれる
1957年(昭和32年) - 女子部が独立し、仙台女子商業高等学校となる
1964年(昭和39年) - 市内川内に校舎を新築移転(地図)
1973年(昭和48年) - 生徒服装の自由化実施
1985年(昭和60年) - 生徒服装の制服化実施
1987年(昭和62年) - 推薦入学制実施(生徒定員の20%で63名)
1994年(平成6年) - 学科改編(国際経済科1学級、情報管理科1学級、商業科5学級)
1996年(平成8年) - 創立100周年
1999年(平成11年) - 市内泉区七北田に校舎を新築移転(現校舎)
2006年(平成18年) - 創立110周年
2007年(平成19年) - 2007年度募集から国際経済科及び情報管理科の募集を停止
2009年(平成21年) - 仙台女子商業高等学校と統合し、「仙台市立仙台商業高等学校」を新設。同時に校訓・校章・校歌を制定。

設置学科
商業科

卒業後の進路

卒業後の進路は以前は就職が多く、県内外有力企業からの求人が多かった。現在は多くの生徒が国公立大学や関東圏の大学・地元の東北学院大学などに進学する。少数の就職希望者は防衛省、警視庁、宮城県警察、市区町村役場などの公務員になるものや、県内外有力企業に就職する。

共学・統合問題

2005年(平成17年)7月、仙台市教育委員会は「仙台市立高等学校のあるべき姿について」として、市立高等学校教育検討委員会の答申を出した。答申によると、これまでの企業への即戦力となる人材育成を前提とした教育のあり方から、進学者が9割という現状に合わせて、それに対応できる教育のあり方を求めている。その方向性で、これまで男子だけの募集だったことに対して、女子商との統合による共学化を提言している。このことは「共学反対」を記者会見で表明した梅原仙台市長も同意しており、その矛盾点については「(自分の出身校とは違い)それぞれの事情がある」と述べている。2006年(平成18年)5月、市教委は「仙台市立高校再編計画」を策定した。これによって2009年(平成21年)に女子商と統合された。校舎は仙商を利用し、女子商校舎は新設された仙台市立仙台青陵中等教育学校の校舎となった。

2007年(平成19年)6月、統合後のあり方を検討する仙台市の統合懇談会は、女子商との統合後の校名をめぐって結論がまとまらず、対応を仙台市教育委員会に依頼する。新校名を「仙台商業高等学校」とすることに女子商側から反対意見が出たため、懇談会では答申を出さないことになった。懇談会は「仙台」「商業」を用いた新校名で、校章、校歌も新たに制定する方針で終会した。市教育委員会はその方針に基づいて新校名を決定するため、現校名は改称される方向となった。

2008年(平成20年)1月、仙台市教育委員会は統合後の新校名を「仙台市立仙台商業高等学校」とする事を決定した。その理由として「市内唯一の商業高を端的に表す名称」と説明して、結局は「仙台市立」が復活するのみで、現校名を維持する形になった。合わせて市教育委員会は市内の市立高等学校全てに「仙台市立」を冠することとなった。校章のほうも、旧仙台商業と旧仙台女子商業の校章を組み合わせた形になっている。

施設
校舎内特別教室
情報処理室、マーケティング室、総合実践室、語学演習室、美術室、音楽室、多目的大ホール兼大視聴覚室、聴覚室、図書室、調理室、被服室、化学室、物理室、簿記室、プログラミング室(PC設置台数は374台で光ファイバー導入済である。)体育関係施設
陸上競技場(400メートルトラック)、サッカー場、ラグビー場、ソフトテニスコート2面、テニスコート2面、軟式野球場、ソフトボール場、硬式野球場(両翼97メートル、センター120メートル)、ハンドボールコート、25メートルプール、第1体育館、第2体育館、武道場(柔道場、剣道場、シャワー室)、研修会館(合宿所)、クラブハウス(屋外関係施設にはナイター設備(照明灯33基)が設置され充実している。)その他
食堂、売店、保健室、自転車駐輪場、第1駐車場、第2駐車場
硬式野球場は改装以前の宮城球場よりも観客席を除けば面積も広く、2001年(平成13年)秋には新世紀・みやぎ国体の全国障害者スポーツ大会会場として利用されたこともある。

部活動
硬式野球部は夏の甲子園に3度出場、3回戦(準々決勝)まで勝ち上がった経験もある。

フェンシング部は第22回全国高等学校総合体育大会において創部4年目で団体優勝を果たした。

2005年(平成17年)は自転車競技部、バドミントン部がインターハイに出場。その他の運動部も東北大会に出場するなど実績をあげている。 またハンドボール部は2006年(平成18年)、2007年(平成19年)と二年連続でインターハイ出場という快挙を成し遂げた。

2010年(平成22年)3月と4月に、近隣に所在するユアテックスタジアム仙台のピッチ除雪作業を運動部員有志が手伝ったことを称えられ、同年10月の「2010ベガルタ仙台ファン感謝の集い」にて「2010ユアテック感動サポート賞」が贈られた。
運動部
硬式野球、軟式野球、ハンドボール、ソフトボール、バスケットボール、ソフトテニス、陸上競技、バレーボール、柔道、剣道、バドミントン、サッカー、自転車競技、空手道、テニス、水泳、山岳、卓球

 文化部は簿記研究部が、2006年(平成18年)は全国高等学校IT・簿記大会において簿記部門団体第3位、個人優勝し文部科学大臣杯、文部科学大臣賞、日本商工会議所会頭杯、日本商工会議所会頭賞を受賞している。また簿記研究部員は難関と言われる簿記検定1級を卒業までに取得することが多く、税理士を目指す学生も多い。

2007年(平成19年)にはコンピュータ部が全国高等学校情報処理競技大会で、初出場ながら団体3位に入賞した。
文化部
簿記研究、珠算、コンピュータ、新聞、吹奏楽、ワープロ、美術、奇術、経済研究、園芸、放送、写真、将棋、音楽、パソコン

取得できる資格
経済産業省主催 情報処理技術者試験 基本情報技術者
ITパスポート


日本商工会議所主催 簿記検定
販売士検定
パソコン検定

全国経理教育協会主催 簿記能力検定

全国商業高等学校協会主催 簿記検定
情報処理検定
ワープロ検定
商業経済検定
英語検定
電卓検定


著名な出身者
千田正(参議院議員、岩手県知事)※胆沢郡立胆沢農業学校、仙台二中より編入
佐藤仁 (現:南三陸町町長)
工藤博利(深浦町町議会議員)
遠藤養吉(エンドーチェーン、Ebeans「仙台の109」創業者)
三井マリア(女優)※仙台女子商業時代
伊達みきお(サンドウィッチマン=お笑いコンビ)
富澤たけし(サンドウィッチマン=お笑いコンビ)
八重樫幸雄(元ヤクルトスワローズ捕手)
荻原満(元読売ジャイアンツ投手)
加藤高康(元千葉ロッテマリーンズ投手)
阿部道(元競輪選手)
荒川玄太(元競輪選手)
菅田彰人(競輪選手)
菅田壱道(競輪選手)
奥野浩昭(元全日本男子バレーボール選手)
相澤寿(バレーボール日本代表。)
東博子(バレリーナ)※仙台女子商業時代

 

★仙台麩

仙台麩(せんだいふ)は、旧仙台藩地域で食されている、油で揚げた麩のこと。旧仙台藩北部の北上川水系中流域にあたる岩手県・両磐地域から宮城県登米市にかけてでは、「油麩」(あぶらふ)とも呼ばれる。

概要
中国の上海料理で用いられる揚げ麩は丸いが、仙台麩はフランスパンに似て細長い形状をしているのが特徴である。

まず、小麦粉に含まれるたんぱく質であるグルテンを練り上げて棒状にし、食用油で揚げる。揚げると膨らんでくるが、このときカッターなどで長軸方向に切れ目を入れて膨らみ方をコントロールし、きれいな細長い形状に作り上げる。

一般的に、煮物や味噌汁の具として用いられるが、宮城県登米市登米町では「油麩丼」として食する方法が一般に浸透し、名物化している。

仙台麩のルーツは精進料理である。登米地方では昔、お盆に精進料理を食す風習があった。その精進料理でタンパク源としてグルテンを油で揚げ、こくをもたせた仙台麩が誕生した。

よって、その昔は夏季限定の季節食品であった。また、登米地方では仙台麩を製造する会社が数社あり、揚げ方の度合いなどが異なるためそれぞれ個性が違う製品になっている。

油麩丼
宮城県登米市では油麩丼(あぶらふどん)と呼ばれるが、他の地域では「仙台麩丼」(せんだいふどん)と呼ばれる。1980年代に生まれたとされるが、詳細な発祥時期は不明である。

宮城県登米郡登米町(当時。現・登米市の一部)にある店において、肉を食べられない人のためにカツ丼あるいは親子丼の代わりとして提供し始めたのが最初とされる。その後は登米町の一般家庭にも浸透していった。

カツ丼のカツの代わりに油麩(仙台麩)を使うところ以外は基本的にカツ丼と作り方が同じであるが、油麩(仙台麩)がカツより水分を多く吸収するため、だし汁を多めに使用する必要がある。

仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(2008年10月1日~12月31日)に合わせて、宮城県内ではご当地グルメを再評価して名物化する動きが見られたが、登米市登米町でもはっとと共に油麩丼(仙台麩丼)の名物化が試みられ、2008年(平成20年)11月に「油麩丼の会」が結成された。2009年(平成21年)2月25日には、B級グルメの愛Bリーグに宮城県初の正会員として登録された。

 

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