杜の都ふるさと便 

東日本大震災の復興・再生を祈願して杜の都のニュースや話題等お伝えしています。


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タレントの間寛平さん(66)らの駅伝形式でたすきをつなぐ「みちのくマラソン」が13日、宮城県気仙沼市に入る

寛平マラソン 走って被災地の住民激励


 
 東日本大震災の被災地を励まそうと、タレントの間寛平さん(66)らが駅伝形式でたすきをつなぐ「みちのくマラソン」が13日、宮城県気仙沼市に入り、仮設住宅の住民らとスイカ割りなどで触れ合った。

 11日に岩手県宮古市をスタートし3日目。この日は同県大船渡市を出発し、間さんは最終走者として気仙沼公園住宅に到着した。雨の中、住民は手を振って歓迎した。

 集会所では宮川大助・花子さんらとトークを披露。若手芸人のライブの後、住民と一緒に記念撮影した。
 同住宅の主婦(78)は「楽しい時間を過ごせた。引越し先が決まらないなど苦労はあるが、元気が出てきた」と笑顔。間さんは「被災地も少しずつ変化している。会う人たちがみんな明るく、日本人の強さを感じる」と話した。

 みちのくマラソンは、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの主催で4回目。岩手、宮城、福島の被災3県計533キロの走破を目指す。21日に福島県いわき市でゴールの予定。

■寛平さん、復興マラソンへ 震災、決して忘れない
 

 東日本大震災の発生から4年5カ月となる11日、被災地を元気づけようと岩手、宮城、福島3県を駅伝方式で走るマラソンイベントが岩手県宮古市から始まり、タレントの間寛平さん(66)が第1走者として出発した。

 間さんは出発地点の宮古市役所前で「震災から4年半たったが、大変なところはたくさんある。みんなが忘れないように頑張りたい」と抱負を述べ、集まった約150人の市民らに手を振りながら走りだした。

 マラソンは2012年にスタートし、今年で4回目。間さんが総監督を務め、被災地にゆかりのある芸人やタレントが、過去最長の計533キロを11日間かけて走る予定。

 

★間寛平
間 寛平(はざま かんぺい、1949年7月20日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手。レゲエシンガー活動名義および本名、間 重美(はざま しげみ)。通称、寛平ちゃん、寛平兄やん。

高知県宿毛市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。趣味はマラソン、ゴルフ、パチンコ、競馬、酒。


生年月日 1949年7月20日(66歳)

出身地 日本・高知県宿毛市

身長 164cm

方言大阪弁

最終学歴 柏原高等学校卒業

師匠 花紀京

芸風 一発ギャグ

事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京

活動時期 1968年 -

同期 桂文珍 など

過去の代表番組 あっちこっち丁稚、マジカル頭脳パワー!!

他の活動 俳優 歌手(1975年 - )

親族
妻:間光代(旧姓上原、元吉本新喜劇座員)
長男:間慎太郎(ミュージシャン)

弟子
塩野一平(廃業)
シベリア文太
本田みずほ など

来歴・人物

私立柏原高等学校卒業。既婚者。1男1女の父。ミュージシャンの間慎太郎は長男である。娘は既に結婚し子供(孫)がいる。妻の光代は吉本新喜劇の元座員。

師匠は花紀京。吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などのギャグで有名。


■マラソン・他のスポーツ関連
趣味としてマラソンをしており、3時間8分42秒(1998年)という市民ランナーとしては驚異的な記録を持っている。ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『24時間テレビ』の24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。

24時間テレビチャリティーマラソンの最初のランナーである。番組スタッフが吉本興業に間寛平の深夜帯10分程度の出演オファーをした所、当時のマネージャーである比企啓之から「10分とは言わず24時間走らせましょうか?」と提案された事がきっかけでこの企画が始まっている。

もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。後々、長距離レースへとエスカレートしていった原因は、間の祖母にルーツがある。高齢であっても足腰が強く、幼少だった重美少年が追いつかずに音を上げる程に意気軒昂であったことから「もしかして長命の家系なのでは」と疑い、祖母も頑丈であるのなら、同じ血を引く自分の限界はどこまでなのか知りたくなった事にあるという。

マラソンから転じて鉄人レースにも参加するようになり、仕事の行き来も走って練習を積む。しかし運動量の多さから食欲不足に陥り「ビールなら麦から作っているから米と同じだろう」と、自己判断で食事を採らずにビールを飲んでいたという。そのうちに身体がだるくなり、診察を受けたところ栄養不足と診断され、「ビールしか飲まないなんてとんでもない、普通の人間ならとっくに筋肉がずたずたになっているはずだ」と、医者はびっくりしていたという。

『オールスター感謝祭』のマラソン競技でも、50歳代半ばにして一般男子以上のハンデがある。しかし近年はミニマラソンの高速化により、ミニマラソンではなく駅伝の方での参加が多くなっている。

2006年、2007年の『24時間テレビ』内では十種競技にも挑戦。改めて鉄人振りをまざまざと見せ付けた。
吉本以外の後輩では波田陽区を大変かわいがっている。そのため2006年、2007年の『24時間テレビ』で十種競技に挑戦する寛平を、村上ショージ、シベリア文太、レギュラーらと応援に来ていた。また、自身が地球一周マラソンにでる際には波田陽区のことを島田紳助に頼んでいたことが、2010年1月15日放送のホンネの殿堂!!紳助にはわかるまいっで島田紳助によって語られた。

『オールスター感謝祭2009春』の赤坂5丁目ミニマラソンでアメリカから衛星中継でスターターを務めたが、その時まぶたに「へ」の字を描いており、島田紳助から「兄さん、その目はどないしたん?」と突っ込まれ「虫にかまれてん〜」とギャグをかまし、スタジオの出演者とスタッフだけではなくマラソンに出場したタレントまでも大爆笑した。しかし紳助は「兄さん、あきれて物言えんわ!」と突っ込みを入れた。

アースマラソン
2007年の2月27日に、将来的に芸能活動を3年間休止して世界一周マラソンに挑戦する意向を表明。寛平本人はその理由を「目立ちたいから」だと語っている。

2008年、モロッコ東南部のサハラマラソンに挑戦。食料などが入った重さ14キロのリュックを自ら背負い、総距離245キロメートルのコースを、3月30日 - 4月5日までの7日間をかけて、51時間46分5秒のタイムで完走。

2008年8月19日、1999年から続いていた寛平まつりを2008年10月12日の10回記念公演を以って幕を下ろすことを公表。理由は2007年2月27日に公表した地球一周 アースマラソン(KANPEI EARTH MARATHON)を2008年12月から実行に移すためというのが実情。2008年8月31日にKANPEI EARTH MARATHONの概要について公表された。

そして2008年12月17日の正午にスターターを務めた明石家さんまの合図で、大阪のなんばグランド花月をスタート。過酷なアースマラソンの旅が始まった。舞台には西川きよし、笑福亭仁鶴、コメディNo.1、ザ・ぼんち、島田紳助、村上ショージ、山田花子等の大御所や仲間がスタートの瞬間を見守った。

2009年6月2日放送の日本テレビの特番で、顔に鼻毛を描いて登場した寛平に(本人曰く「走っていたら鼻毛が伸びる」らしい)、スタジオの明石家さんまが激怒。さらにサングラスを外すと、まぶたに「へ」の字を描いており、さんまは更に激怒、挙句の果てにカメラにお尻を向けて「パンプキ〜ン」というギャグを多用し過ぎて、怒りが頂点に達したさんまは台本を破り捨ててしまう。この時期日本テレビが「ecoウィーク」期間中であり、番組のセットは火曜サプライズのセットを流用した。

2010年1月4日には、『アースマラソン』の際立ち寄ったトルコにて前立腺がんを発症していることが判明。同13日に公表。今後は、治療を行いながら『アースマラソン』を続けていくことが明らかになった。3ヶ月後にトルクメニスタン到達後、病状が悪化する前に放射線治療を受けるために一時中断してアメリカに引き返したが、6月18日に再スタートした。

2011年1月21日に2年1か月のアースマラソン4万1000kmに及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインした。

『アースマラソン』にて太平洋大西洋横断や中国大陸から日本への帰国の手段としてヨットを駆使するなどしたことから、日本セーリング連盟から間寛平に「セーリングの普及、認知度向上に貢献を果たした」として功労賞が贈られることになった。

『ダウンタウンDX』にてマラソン中一番辛かった国(場所)は?と聞かれてアメリカのペンシルベニア州と答えている。理由は延々とアップアンドダウンが繰り返されたから。