杜の都ふるさと便 

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宮城県山元町で29日防災訓練 すいとん500人分の炊き出し

家族総出で避難確認 山元町防災訓練参加者3倍
 

参加者が雨の中、傘を差したりかっぱを着たりして一緒に避難場所に向かう 
 山元町は29日、東日本大震災の教訓を踏まえた総合防災訓練を実施した。町内の全小中学校を登校日扱いとして地域を挙げた取り組みを促し、参加者は昨年の3倍となる2445人に上った。

 訓練は宮城県沖を震源とする震度6強の地震が発生し、大津波警報が発令されたと想定。沿岸5地区の住民は車、内陸の16地区は徒歩でそれぞれ計20カ所の避難場所に向かった。4小学校、2中学校の計836人も参加した。

 沿岸の花釜地区は住民が班ごとに定めた場所に集まり、安否確認後、車に分乗して逃げた。消防団員や交通指導隊が誘導に当たり、大きな渋滞はなかったが、国道6号との交差点付近で信号待ちの列ができる場面もあった。

 9歳、7歳、5歳の1男2女らと徒歩で参加した会社員さんは「スムーズに避難できた。日頃から家族で話し合い、災害に備えることが大事だと思う」と話した。

 避難場所ごとの防災研修会もあり、坂元小では昨年完成した防災機能を持つ体育館で避難所運営を体験。すいとん500人分の炊き出し訓練をした。

 同町は震災で636人が犠牲となった。2013年以降、「津波避難文化」の確立を目指して車を使った訓練に取り組む。斎藤俊夫町長は「苦い経験を後世にしっかり伝えるため、今後も地域総参加型の訓練を続けたい」と話した。

 

★山元町(やまもとちょう)は、宮城県の東南端の太平洋沿岸に位置する町である。


面積
64.58 km²
 

総人口
12,564人
 (推計人口、2015年5月1日)

人口密度
195人/km²
地理

町の地形は、西部が山地(森林)、中部が台地(畑・果樹園)、太平洋に面した東部が低地(水田)となっている。町内は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区の三つに分けられる。もとは国道6号線沿いの旧山下・坂元両村の役場が置かれていた辺りに人家が集中していたが、これらの部落はともに最寄駅(常磐線の山下駅・坂元駅)からは離れており、電車を利用しての通勤・通学にはやや不便であったので、次第に常磐線沿いにも宅地が形成されていった。
山:大森山(315.1m)・深山(287.2m)・四方山(272.6m)・権現堂山(325.0m)
河川:戸花川・坂元川
年平均気温:12.2℃(2005年)
月平均降水量:88.17mm(2005年)

歴史
承和元年(931年)頃に著された『和名類聚抄』に「曰理(わたり)郡に四郷を置く、すなわち坂本・菱沼・亘理・望多」とある。これが山元町域が史料上に現れた最初である。当時の人口は1,000人から1,500人ほどと推測される(一郷は50戸。一戸の人数はおおむね10人 - 15人)。
天喜4年(1056年)頃 - 亘理権大夫・藤原経清が亘理郡に入部し、亘理地方を所領とする。町内の中嶋館が経清ないしその一族の居館と推定されている
元和2年(1616年) - 大條宗綱が坂元城に入部し、以降幕末まで大條氏が坂元本郷ほか4,000石を領す
安政2年(1855年) - 異国船が磯浜付近に出没
明治元年(1868年) - 戊辰戦争。駒ヶ嶺城陥落後、奥羽越列藩同盟の浜通り方面軍の本営が坂元城に置かれる
明治22年(1889年) - 町村制施行。山下村と坂元村が成立
昭和30年(1955年)2月1日 - 山下村と坂元村が合併し、山元町が発足
平成23年(2011年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。大津波により沿岸地区6部落が壊滅し、多数の死傷者を出す。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
四方山・深山トレッキングコース
深山山麓少年の森(菱沼の郷)
社台グループ山元トレーニングセンター
唐船番所跡(磯崎山公園)
蓑首城跡
八重垣神社

祭り・イベント
ホッキ祭り - 2月下旬
ストロベリーラインふれあい市 - 6月上旬
八重垣神社(お天王様)祭礼 - 7月下旬
商工産業祭・文化祭 - 11月上旬
アップルラインふれあい市 - 11月下旬
やまもと食のまつり - 12月下旬

出身有名人
大川"Z"純司 - 歌手
大竹佑季 - 歌手
こおり健太 - 歌手
小坂誠 - 元プロ野球選手
土生洋一郎 - シンガーソングライター
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山田篤史 - 俳優