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津波被災地仙台市若林区荒浜の5年ぶり「最後」の運動会 ばらばらになるが、荒浜の強い絆を

津波被災地5年ぶり「最後」の運動会
 

子どもたちが親子三代リレーで元気に走る
 
 東日本大震災の津波で大きな被害を受けて中断していた仙台市若林区荒浜の「学区民大運動会」が6日、同区の七郷小の校庭で行われ、住民ら約1000人が再会を喜び一緒に汗を流した。既に住民の大半が地区を離れた上、来年4月に荒浜小が七郷小に統合されるため、運動会は今回が最後となった。

 玉入れや綱引き、親子3代リレーなど14種目があり、6地区対抗で競った。最後には全員で「荒浜音頭」を踊り、子どもから大人まで世代を超えて交流し、笑顔の輪を広げていた。
 1970年代に始まった運動会は毎年秋に荒浜小で開かれ、地域の最も大きな行事だった。主催は荒浜体育振興会や同校など。住民は練習を重ね、地区ごとに色違いのユニホームを着て本番に臨んだ。しかし、震災の津波で約120人が犠牲となり、多くの住民は家を失った。
 ことし1月、荒浜小の校長が「統合前に、住民がもう一度集まるきっかけとして運動会を開催してほしい」と体育振興会に呼び掛けた。協議を重ね、支援団体から援助を受け5年ぶりの復活にこぎつけた。

 宮城野区に家を再建した参加者さんは震災時、車に偶然積んでいたため手元に残った青色のユニホームを着て参加。「懐かしい顔ぶれに会えてうれしい」と顔をほころばせた。
 同振興会の会長は「住民はばらばらになるが、荒浜の強い絆を持ち続けてほしい」と話した。

 

■ 震災前、仙台市若林区荒浜で毎年9月に住民総出で行われてきた「学区民大運動会」が6日、同区の七郷小の校庭を借りて5年ぶりに復活する。まちは津波で跡形もなくなり、運動会の会場だった荒浜小は来春、七郷小に統合される。散り散りになった人々がたくさん集まる、最初で最後の機会になる。

 大運動会は1970年代に、青年団が中心となって始め、やがて荒浜小と合同する形になった。大きな祭りのなかった荒浜では年間の最大行事。東・西・南・北・石場・新町の6地区対抗で、それぞれの色のユニホームをそろえ、当日朝は町内会ごとに太鼓を打ち鳴らして入場した。

 クライマックスは地区対抗リレー。1週間前から浜で毎晩練習し、策を練った。子どもらの応援合戦も熱が入った。祝勝会には、他地区が祝儀を持ってゆくのがならわしだった。

 4年半前――。綱引きの綱、玉入れの玉、持ち回りの優勝旗など、すべてが流された。津波の犠牲者も少なくなかった。

 「復活」話が持ち上がったのは今年1月。閉校が決まった荒浜小の櫻場直志校長が「児童16人の最後の思い出に」と提案した。だが地元の賛否は分かれた。

 「津波を経験した荒浜を思い出したくない人もいる」「いまさら何になる」。それでも「ふるさとのシンボルをもう一度」という声が勝った。

 練習ができないため、地区対抗リレーはなくなったが、サイダー飲み競走、みんなで踊る「荒浜音頭」などおなじみの種目が並ぶ。「荒浜でご近所だった人と久しぶりに会えるのが楽しみ。できるだけ多くの人に参加してほしい」と、運営する体育振興会副会長の佐藤長宏さん(63)は言う。

 大運動会は6日午前9時~12時半、荒天の場合は13日に延期。駐車場は七郷中

 

★仙台市若林区荒浜

慶長から元和(1596~1624年)に3人の浪人が定住したのが始まりと伝わる。長く漁業と農業が中心だったが、地区西側の荒浜新町での1980年代の区画整理事業に伴い会社員らが増えた。漁協やJAなどによると震災前の約700戸中、漁業者は約20戸、農業者は約180戸で、他の大半は会社員。大半は土地・家屋所有者とみられ、震災でほぼ全ての住居が流失・全壊した。犠牲者は約170人。