杜の都ふるさと便 

東日本大震災の復興・再生を祈願して杜の都のニュースや話題等お伝えしています。


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宮城の女川カレーをもう一度 神奈川県鎌倉市のボランティア団体が作ってくれた炊き出しカレー

宮城の女川カレーをもう一度
復興めし あの時、体も心も温まった。

 女川の人はあの味が忘れられなかった。
 津波から命からがら逃げて、避難所に身を寄せた。寒い。腹も減る。誰もが打ちひしがれていた。

 神奈川県鎌倉市のボランティア団体が駆け付けた。炊き出しでカレーを作ってくれた。体の温まるスパイスを調合。避難者の心とおなかを満たした。
 町民は謝意を込めてあの時のカレーを復元し、「女川カレー」と名付けて売り出した。

 町の12店で出している。
その中の一つ「食事処三秀(さんしゅう)」は女川カレーに、もともと店で出したラーメンスープだしのカレーを5対5の割合で配合し、独自の味に仕上げた。女川カレーでスパイシーさ、店本来のカレーでコクを出している。

 5対5の配合と言えば三秀の店名は店主の木村三男さん(71)と妻の秀子さん(67)の名前から1字ずつ取っている。二人三脚で築き上げ、震災も乗り越えた。
 「5-5? そんなそんな。うちは7-3でお母さんだから」と三男さん。


 女川カレーはオーソドックスなカレーのほか、スープカレー、ドライカレー、カレーラーメン、カレーピザなど各店独自にアレンジしている。

値段は400円台~800円台。女川町へは車なら三陸自動車道石巻河南インターチェンジで下りて国道398号で。連絡先は開発元の「ディル・セ・おながわ」0225(24)8747。

 

※雑感・一言

私の場合は近所の小中・学生が作ってくれた芋煮(豚汁)が忘れられません。

電気ガス水道が使えなくて困っていたときに班長さんから小学校へのお誘いがありました。

なんと近所の小中・学生が炊き出しをやっているというのです。

小中・学生たちが作るのだからたいした物はできないだろうと思いましたが、何せ食べるものがありません。仕方なく行って食べました。

手製のおにぎりに芋煮です。

いゃ~その時の芋煮のおいしかったこと。あれから4年経ちましたが今でもあのときの芋煮の味は忘れられません、最高でした。

思わずお代わりをしてしまいました。

今あの子達はどうしているのだろうか。


★女川町
女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。


面積
65.35 km²
 

総人口
6,692人
 (推計人口、2015年5月1日)

人口密度
102人/km²

概要

町域は、三陸復興国立公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。

また、町の南には石巻市とまたがって東北電力の女川原子力発電所があるが、現在は運転停止中。

宮城県の東端、太平洋に突き出た牡鹿半島の基部に位置する女川町。北部・南部にかけて石巻市に幅広く隣接し、日本有数の漁港「女川漁港」がある小さな港町です。水産業を基幹産業としていて、銀鮭や牡蠣、ホタテなどの養殖も盛んであり、また、金華山漁場が近いことから、市場には暖流と寒流の豊かな魚種が水揚げされ、中でも秋の味覚「秋刀魚」の水揚げ量は全国でもトップクラスの業績を誇っています。

近年では、新鮮な魚介類をテーマにしたお祭り等、観光産業を中心に年間約20万人のお客様にお越しいただいておりました。

平成23年3月11日に発生した東日本大震災により、女川町は壊滅的な被害を受けました。町の復興には、様々な面でかなりの時間を要すると思いますが、これまで以上の水産都市「女川町」の実現に向け、一日も早い復興に尽力しています。

●東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所の震度計が震度6弱を観測した(町内の検測所は津波で流失)。 さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った(東日本大震災)。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高)は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mを記録した。

津波で3階建ての町庁舎も冠水したが、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システムが壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った。

女川湾から約100mのところにあった七十七銀行女川支店では高さ約10mの屋上に行員が避難したが津波に飲み込まれた。

東北電力は女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した。女川原発の敷地の標高は14.8mであるが、地震で約1m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80cmの高さにまで迫っていたことが判明した。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3- 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという。

町域にある鉄道駅のうちJR石巻線の女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた。また、女川-石巻間では線路が損傷した。

更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている。
3月12日:津波被害で損壊著しい町庁舎に代えて、女川町立第一中学校(現・女川中学校)の校舎2階に女川町災害対策本部が置かれる。
3月23日:この時点で判明した人的被害は死者473人・行方不明者620人、物的被害はほとんど詳細不明。
3月31日:女川町公式ウェブサイトのホームページが臨時の状態ながら回復する。
4月21日:町の有志により、町内をエリアとする臨時災害放送局(FMラジオ 79.3MHz)「おながわさいがいエフエム」が開局し、女川町立第二小学校校庭に設置されたスタジオから24時間体制で放送を開始する。
5月26日:この時点で判明した人的被害は死者476人・行方不明者567人・重軽傷者2人、物的被害は全壊3,021棟・半壊46棟・一部破損86棟。
6月6日:この時点で判明した人的被害は死者488人・行方不明者454人。


女川(おながわ)」の由来

平安時代、前九年の役で陸奥の豪族、安部貞任(あべのさだとう)が、源氏と経ヶ峰(きょうがみね)で交戦した際、一族の女性と子供を黒森山(くろもりやま)の安野平(あんのだいら)に避難させ、そこを流れる川を「女川(おながわ)」と呼んだことが始まりとされています。