杜の都ふるさと便 

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仙台市榴岡天満宮の梅が2016年1月8日現在、約20本のうち2本で花びらがほころび、他の木もつぼみを膨らませている

記録的暖冬の影響で、榴岡天満宮(仙台市宮城野区)の梅の花が昨年末から咲き始めたということです。

福岡の大宰府天満宮なら納得しますがここはみちのく仙台です。

 天満宮の話によると、開花を確認したのは昨年12月25日だそうです。1月8日現在では、梅の木約20本のうち2本で花びらがほころび、他の木もつぼみを膨らませている。

 天満宮の担当者も「12月に咲いた記憶はない。暖冬傾向とはいえ、びっくりしている」。もともと早咲きで知られる天満宮の梅だが、平年の咲き始めは1月下旬前後。

ここ数年は2月下旬から3月上旬の咲き始めだった。

天満宮からほど近い仙台管区気象台の標本木の場合、平年の開花は2月27日。ことしはまだだという。

早くも梅の便りとはこいつは春から縁起がいいや。

 

★榴岡天満宮

御祭神・菅原道真公は、承和12年(845)に誕生されましたが、この年は乙丑(きのとうし)でありました。

 また、延喜3年にお亡くなりになりましたが、轜車(じしゃ)を「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との御遺言で、その場を墓所と定め、その場所が都府楼(太宰府の庁舎)の北東(丑寅)の方であったなど、多くの牛との関わりや伝承があり、天神さまには牛がつきものとなり、「神使(かみのみつかわしめ)」としてのつながりを持つようになり、撫で牛は御祭神とご参拝の方々をつなぐ大切な役割を果たしています。

 その他にも、「道真公の命日、延喜3年2月25日は丑年の丑の日であった」、「道真公が太宰府に左遷の折に、時平の命を受けた追手が道真公に斬りかかった際、荒れ狂った白牛が飛び出し、追手の腹を突き刺した。これにより白牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれた」という牛にまつわる逸話が多数存在し、道真公と牛との関係が非常に深いことから、全国の天満宮、天神社には撫で牛が祀られております。


■天神さまと梅
天満宮の梅
 全国の天満宮の神紋(しんもん、神社の紋)が梅であるように、菅原道真公と梅には深いつながりがあります。

「美しや 紅の色なる 梅の花
  あこが顔にも つけたくぞある」

 道真公の幼名は「阿呼(あこ)」といい、5歳のとき庭に咲く紅梅を見て、その花びらで自分の頬を飾りたい、という思いでつくられた御歌です。

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花
  あるじなしとて 春な忘れそ」

 東風が吹いたら、香りをその風に託して太宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主人である私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ。

 太宰府への左遷が決まり、ご家族とも充分な別れも許されないまま京都を離れる際、ご自宅の梅の木に別れを告げる御歌です。後にその梅が太宰府のもとに飛んで行った、というお話もあります。(飛梅伝説)


榴岡天満宮は、学問の神様と言われている「菅原道真」を祀る神社です。拝殿の前には、丑年生まれの道真にあやかって「撫で牛」があり、人々から篤い信仰を集めてきました。

 境内には、江戸時代の俳人・松尾芭蕉による「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句碑をはじめ、多くの文人墨客の句碑・歌碑があり、「俳諧碑林」などと呼ばれています。また、仙台で最も早く開花すると言われているウメや、仙台市の保存樹木に指定されているシラカシやシダレザクラの古木もあります。

 毎年、入学試験のシーズンになると、多くの受験生や父兄が合格の願いを託して絵馬を奉納し、参拝する姿が見られます。

 

★仙台市の観桜地として有名な榴ヶ岡に鎮座する榴岡天満宮は、平安時代の天延2年(974)に山城国(現在の京都府)に御創建された。

その後、平将春が陸奥国宇多群(現在の福島県)に勧請し、次に宮城県柴田郡川内村に御遷座したのが始まりで、天文20年(1551)に小俵玉手崎(仙台市青葉区の東照宮の地)に3度目の御遷座が行われた。

後に、藩祖伊達政宗公が仙台城を造営するとき、当社の社木(境内地にあった樹木)を用財として切り取った為、その報祭に慶長16年(1611)に新たに丹塗りの御社殿を造営したが、慶安3年(1650)徳川幕府の命令により東照宮建立に際し、その境内地東側に御遷座がなされた。
そして、寛文7年(1667)7月25日に3代藩主伊達綱宗公の意志により、丹塗りの社殿・唐門を新たに造営し、菅原道真公の真筆(直筆の書)が奉納され、この榴ヶ岡に御遷座された。

当社の御祭神である菅原道真公(天満大自在天神)は、学問・政治の主祭神であり、また弘法大師、小野道風と共に、書道の三聖として詩歌・書道の神としても尊信されている。しかし、道真公の一生は波乱に満ちたもので、時の左大臣藤原時平の讒言により、大宰府へ配流され、悲壮のうちに亡くなられた。

配流の地で亡くなられた道真公が、怨霊天神・火雷天神とも言われる由縁は、没後四十数年後に都に疫病や飢餓・落雷とともに降臨した事から、当時の人々が崇め祀るようになった為と伝え聞いている。
このような歴史的背景を考えると、寛政7年(1795)2月25日に起こった落雷による不慮の火災は、本殿・拝殿・楼門・神楽殿・鳥居と多くの歴史的建造物を焼失し、非常に残念なことであったが、道真公が高天原より降神なされたのでは、という歴史的ロマンを擽る唯一の天満宮である。

現在の御社殿はその頃の再建で、総欅造り、照星閣とも呼ばれ、明治9年の明治天皇御巡幸の際に、明治天皇が御参拝なされた神社である。

また仙台城構築の際の有力な築城の候補地とされ、元禄2年5月7日には当社に、松尾芭蕉が参拝し「ここ玉田よこ野つつじが岡はあせび咲くころ也ここに天神の御社など拝て其日はくれぬ」(奥の細道)という句を遺していることからも、当時の天神信仰が盛んだったことを示している。

 

●榴岡天満宮の梅
所在地/仙台市宮城野区榴岡23
交通/仙石線榴ヶ岡駅下車、徒歩5分
電話/022-256-3878
概要/ 榴岡天満宮は菅原道真公を祀った神社で、境内には筆塚をはじめ歌碑、句碑が多く建てられ「俳諧碑林」として知られているが、また、梅の名所としても知られており、例年3月初旬から咲き始め、春のおとづれを告げる。