杜の都ふるさと便 

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「ファイト」と声かけあった宮城県東松島市野蒜小学校の閉校行事が2月27日朝行われる「ありがとう野蒜小」

東日本大震災で被災し、本年度で142年の歴史を閉じる東松島市野蒜小(児童131人)の閉校行事が27日朝、同市小野のプレハブ仮設校舎近くの小野地区体育館と、旧校舎前であった。児童は新年度、宮戸小と統合して開校する宮野森小に通う。

 小野地区体育館の式典には在校生や卒業生、住民ら約400人が出席。児童代表2人と相沢日出夫校長らが阿部秀保市長に校旗を返納した。児童全員がそれぞれ最後の1年を振り返り、「ありがとう野蒜小」と声をそろえた。
 校長は式辞で「震災で児童9人の尊い命が犠牲になったことは決して忘れない」と冥福を祈った。
 津波で被災した旧野蒜小校舎前では、閉校記念碑が除幕された。被災で散り散りになった地域住民も集まり、校舎に感謝した。

 震災当時、野蒜小2年だった生徒は、震災で仲の良い同級生を亡くした。「ここに立つと一緒に過ごした時間を思い出す。閉校は寂しいけれど、今までありがとうと言いたい」と話した。
 野蒜小は1873(明治6)年に開校し、これまで約8500人が巣立った。

「ありがとう野蒜小」のメッセージが飾り付けられた閉校式会場では、ともに野蒜小体育館で津波にのまれ、紙一重で助かった卒業生と恩師が久しぶりに再会。2人はそれぞれ災害から身を守る教訓を継承する活動をしており、「あの日を忘れず、語り継ごう」と誓い合った。


 野蒜地区は野蒜小児童9人を含む515人が津波の犠牲になり、指定避難所だった野蒜小体育館も津波に襲われ、少なくとも住民ら13人が死亡した。300人以上が孤立し、児童らが「ファイト」と声を上げて励まし合ったことで知られる。

 あの日、6年生だった生徒は体育館で津波にのまれた。黒い津波が入り口からさーっと入り込む中、高さ約1メートルのステージに上った。周囲は、風呂に水をためるように波で満たされていった。首元まで波が来た時、衣服を着たままプールに入る着衣泳の授業を思い出した。「力を抜いて、水に浮かんで救助を待てば助かる」。思い切って床をけり、両手両足を広げ、水面から顔だけ出し、口で息をした。水が引き、大人たちに2階に引き上げられた。

 もう一人の生徒もステージ付近で津波にのまれ、浮いていた演台にしがみついた。どのくらい時間がたったか分からない。水が引き、両足がステージについた。「このことを忘れちゃいけない」。その瞬間、そう思ったという。

 その後、仙台近郊の小学校に異動。2012年から勤務先でも着衣泳を取り入れた。13年春から2年間、山形大大学院で防災教育を学び、学生らに被災体験を伝えた。「あの日、自分は何もできなかった。津波を体験した教員として、できることをしたい」と話す。

 生徒の一人は昨年から同級生たちと被災体験の「語り部」を始めた。着衣泳で助かった経験から「無駄に思えることでも役立つ時がある。私の話も、どこか頭の片隅に入れて覚えておいてください」と訴えた。
旧校舎には記念碑が設置される。


★東松島市野蒜小学校

明治6年5月第7学区第2中学区第55番小学校として開校 大蔵省旧官舎を校舎とする

学区の概要 
 学区野蒜地区は宮城県の中央東部海岸地区に位置し, 西は松島町に接し,南は石巻湾に臨んでいる。白砂青松の美しい景観に恵まれ,野蒜海水浴場,東名海岸には海水浴や潮干狩りに訪れる観光客が多く,レジャーゾーンとしての発展がめざましい。