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東北楽天の元監督、星野仙一氏が1月4日死去

東北楽天の元監督、星野仙一氏が死去したことが分かった6日、突然の訃報に接した選手らチーム関係者は悲しみに包まれた。

 

 「東北楽天ゴールデンイーグルスの精神的支柱だった」。梨田昌孝監督は球団副会長としてチームの強化に尽力した星野氏の存在の大きさをかみしめる。「常に矢面に立ち、われわれを支えてくれた。『星野仙一』のまねはできないが、あの厳しさと威圧感を継承しながら、現場とフロントが一体となり戦っていく」と固く決意した。

 星野氏が監督に就任した3年目の2013年、チームは初のリーグ優勝と日本一に輝き、東北に歓喜をもたらした。

 

 当時、新人ながら開幕投手に抜てきされた則本昂大は「星野さんがいなければ今の僕はない。感謝しかありません」と語った。藤田一也内野手は「日本一になった時、『ここまで来られたのは一也のおかげ』と言ってもらったのがすごくうれしかった。今も現役でプレーできているのは星野さんとの出会いがあったから」と感謝する。

 

 星野氏が監督だった時に捕手から外野手に転向し、才能が開花した岡島豪郎は「外野手としての自分があるのは、我慢しながら使い続けてくれたおかげ」と振り返る。今季から選手会長となり、「2013年以来の日本一を報告できるよう、チーム一丸で戦っていく」と言葉に力を込めた。

 

 16年オフに西武からフリーエージェント(FA)で東北楽天に移籍した岸孝之投手は「FAの時、迷ったら前に進めと言われたことが今でも忘れられない。今年は日本一という形で恩返ししたい」と語った。

 

 「星野さんのおかげで今の自分がある。自分も星野仙一のような男になりたい。昨年見せられなかった日本一を今年こそ奪回する」。星野氏に見いだされ、チームの中心選手に成長した銀次内野手はこう誓った。

 

 東日本大震災時に選手会長だった嶋基宏捕手は「今でも大きな声で『嶋』と呼ばれるような気がする。教えていただいた闘う姿勢を忘れず、今年こそ東北を熱くする。いつか監督のような厳しさの中に愛情がある人間になりたい」と闘将の早過ぎた死を悼んだ。

 


星野仙一
星野 仙一(ほしの せんいち、1947年1月22日 - 2018年1月4日)は、日本のプロ野球選手・監督、野球解説者。


岡山県児島郡福田町(現・倉敷市)出身。選手時代のポジションは投手。2015年より株式会社楽天野球団取締役副会長に着任。2011年から2014年まで東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めた。2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督も務めた。

人物
2008年3月に岡山県倉敷市に開館した、星野仙一記念館の入り口(2008年6月)
愛称は「仙ちゃん」「仙さん」など。
小学6年生の時には同じ学年の障害を持った友人を1年間毎日、おんぶして学校まで登校していたと自著で述べている。

ボランティア活動に熱心で、選手には「人生の1%をボランティアに捧げ」と説いている。実際自身は毎年のように地元岡山の障害者施設に寄付を行っている。
ボランティアの重要性は自著でも述べている。

1984年から岡山市にある福祉施設旭川荘に訪れティーバッティングなど、多くの野球用具を寄付した。旭川荘ではティーボールチームが発足し、星野の名を冠したティーボール大会が毎年11月に開催されている。

倉敷で秋季キャンプをしているため星野自身もこの大会に出向いて選手を激励してる。

「今の若い者は」という言い方を嫌い、「今の若い者には若い者の良さがある。今の選手には今の選手なりの接し方があるんだよ」と述べている。

現役時代・監督時代を通じて6回日本シリーズに挑戦しており、いずれも巨人出身監督と対戦し5回連続して敗退〈1974年(現役)金田正一(ロッテ)、1982年(現役)広岡達郎(西武)、1988年(監督)森祇晶(西武)、1999・2003年(監督)王貞治福岡ダイエー)〉していたが、6回目の2013年(監督)原辰徳(巨人)で初優勝した。

これら6度の日本シリーズでの優勝と敗退の理由について星野は「今まではシーズン中に巨人と戦っていたためリーグ優勝で燃え尽きていたが、今回は日本シリーズの対戦相手が巨人だったため、最高のボルテージで戦えた事が大きかった」と総括している。


◆タイトル
最多セーブ投手:1回 (1974年) ※セ・リーグの初代最多セーブ投手
最高勝率:1回 (1975年) ※当時連盟表彰なし[124]
◆表彰
沢村賞:1回 (1974年)
月間MVP:2回 (1975年9月、1977年8月)
正力松太郎賞:2回 (2003年、2013年)
パ・リーグ最優秀監督賞 (2013年)
報知プロスポーツ大賞特別功労賞 (2003年)
◆記録
オールスターゲーム選出:6回 (1969年、1974年 - 1976年、1979年、1981年)
◆初記録
初登板・初先発:1969年4月13日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、2回3失点で敗戦投手
初勝利・初先発勝利:1969年5月5日、対広島東洋カープ6回戦(福井県営球場)、6回2/3を1失点
奪三振:同上、1回裏に山本浩司から
初完投:1969年5月22日、対大洋ホエールズ9回戦(川崎球場)、8回3失点で敗戦投手
初完投勝利:1969年9月3日、対広島東洋カープ20回戦(中日スタヂアム)、9回2失点
初完封勝利:1969年9月14日、対アトムズ24回戦(中日スタヂアム
初セーブ:1974年4月22日、対読売ジャイアンツ2回戦(後楽園球場)、8回裏2死に2番手として救援登板・完了、1回1/3を無失点
節目の記録
100勝:1977年7月8日、対阪神タイガース12回戦(ナゴヤ球場)、9回3失点完投勝利 ※史上69人目
1000奪三振:1979年6月26日、対阪神タイガース13回戦(阪神甲子園球場)、1回裏にマイク・ラインバックから ※史上57人目
500試合登板:1982年10月12日、対阪神タイガース26回戦(ナゴヤ球場)、8回表に6番手で救援登板、1回3失点 ※史上50人目

背番号
22 (1969年 - 1970年)
20 (1971年 - 1982年)
77 (1987年 - 1991年、1996年 - 2003年、2011年 - 2014年)

野球以外での表彰
ファッション関連
日本メガネベストドレッサー賞(スポーツ界部門:1993年)
ベストドレッサー賞 (スポーツ・芸能部門:2003年)
その他
新語・流行語大賞 トップテン (2003年、「勝ちたいんや!」)
ハッピーハンド (2003年) ※手形を寄贈
倉敷市市民栄誉賞:2回 (2003年、2013年)
倉敷市スポーツ特別功労章 (2014年)
倉敷市文化章 (2017年11月) 贈呈者は倉敷市長の伊東香織
岡山県スポーツ特別顕賞:1回 (2017年11月) 贈呈者は岡山県知事の伊原木隆太
著書
単著
星野仙一の巨人軍と面白く戦う本』(文藝春秋、1983年4月)
星野仙一のすばらしき野球野郎』(日刊スポーツ出版社、1983年9月)
『野球スペシャル』(文藝春秋、1986年7月)
『燃えて勝つ:我れ再び巨人と闘わん』(実業之日本社、1987年1月、ISBN 4408130826)
星野仙一のインターネット熱闘譜』(ごま書房、1996年11月)
『燃えた、信じた、勝った!:'99・V奪回までの「炎のことば」』(東京新聞出版局、1999年11月、ISBN 4808306921)
『ハードプレイ・ハード―勝利への道』(2000年3月、文藝春秋
『勝利への道』(2002年4月、文春文庫、文藝春秋、前出の『ハードプレイ・ハード―勝利への道』の文庫化及び一部改定版)
『迷ったときは、前に出ろ!:タイガース再生への道、険しくとも』(2002年10月、主婦と生活社
星野仙一闘将日記』(2003年9月、実業之日本社
『完全燃焼:闘将日記完結編』(2003年11月、実業之日本社
『夢:命を懸けたV達成への647日』(2003年10月3日、角川書店)ISBN 978-4-0488-3851-1
『人を動かす組織を動かす』(2004年7月、NHK人間講座NHK出版)
『シンプル・リーダー論:命を懸けたV達成への647日』(2005年4月、文春文庫、文藝春秋
『やるだけやったら、それでいい。:愛と勇気のリーダー語録』(2007年3月2日、PHP研究所
『星野流』(2007年11月8日、世界文化社/改訂版、2011年1月28日)


経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
◆選手歴
岡山県立倉敷商業高等学校
明治大学
中日ドラゴンズ (1969 - 1982)

◆監督・コーチ歴
中日ドラゴンズ (1981 - 1982, 1987 - 1991, 1996 - 2001)
阪神タイガース (2002 - 2003)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011 - 2014)

野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年2017年
選出方法エキスパート表彰

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