杜の都ふるさと便 

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東日本大震災で最大被災地の一つとなった宮城県女川町で「まちびらき」が21日に予定

石巻線>女川復興へ確かな一歩 全線再開へ

JR石巻線の全線復旧に向け列車の試運転が繰り返される。再建された女川駅と町営「女川温泉ゆぽっぽ」は開業を待つばかりだ
 

 東日本大震災で最大被災地の一つとなった宮城県女川町で、まちづくりが新たなステップを迎える。「まちびらき」が21日にあり、復興の第1段階を宣言する。国が「復興のトップランナー」と評する町は中心市街地に施設が姿を現し、まちづくりが本格化する。

 大規模にかさ上げした中心部に公共施設と商業・観光施設を集約し、高台に住宅を整備する。核となるJR女川駅と町営「女川温泉ゆぽっぽ」の併設施設は2月末に完成した。
 浦宿-女川間が不通だった石巻線も21日に全線で運転を再開する。県内の被災在来線で全面復旧は初めてだ。ゆぽっぽが営業を始める22日は復興をアピールする「復幸祭」も駅前広場などで繰り広げられる。

 起業家支援拠点「フューチャーセンター」や水産業体験館「あがいんステーション」も今月以降、駅周辺に誕生。12月には被災事業者が入るテナント型商店街がオープンする。
 住民の日常生活を支え、交流人口を増やす。町ににぎわいを取り戻す空間が少しずつ広がっていく。

★女川町

女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。

面積
65.35 km²
 

総人口
6,805人
 (推計人口、2015年2月1日)

人口密度
104人/km²


概要
町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。

また、町の南には石巻市とまたがって東北電力女川原子力発電所があるが、現在は運転停止中。

歴史

女川町の由来
女川町西方背後にある黒森山の麓にあたる奥地に安野平(あのたいら)という所から流れ出る渓流がある。

平安時代安倍貞任の軍勢が隣村・稲井(現在の石巻市稲井)の館に寄り、源氏方の軍と戦ったとき、一族の婦女子を安全地帯であった安野平に避難させた。このことから、ここから流れ落ちる小川を「女川」と呼ぶようになった。

1889年(明治22年)4月1日に町村制が施行された際、藩政時代の女川組20浜の各村を合併して女川村と称した。
全地域を女川村と呼ぶに至ったのは、藩政時代初期から文政年代にわたって女川組20組の大肝入を勤めた丹野組が代々定住した土地であること、地理的に利益を得やすい所であったこと、さらに、全地域が大肝入時代の女川組でもあったので命名されたものと推測される。1926年(大正15年)4月1日に町制へ変更され、女川町となる。

女川湾の歴史
女川湾は比較的水深が深く、宮城県に寄港する大型船舶の碇泊地になることが多かった。
なかでも、塩釜港石巻港が浚渫整備される以前は、大日本帝国海軍の艦船の入港が多く、商港の整備に当たって軍港誘致の請願が行われたことがある。
第二次世界大戦中には、東北地方太平洋岸の防空・対潜任務のため、横須賀鎮守府隷下の「女川防備隊」が設置され、艦艇が配置された。
また、大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日には連合国軍機による空襲を受けて大日本帝国海軍艦艇7隻が撃沈されている。


近代以降
1975年度の女川町の市街地国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成1939年(昭和14年)10月7日:国鉄(JRの前身)石巻線で女川駅が開業。
1945年(昭和20年)8月9日:第二次世界大戦中、連合国軍機による空襲があり、大日本帝国海軍艦艇7隻が女川湾で撃沈される。
1951年(昭和26年)12月13日:女川漁港が第3種漁港に指定される。
1956年(昭和31年)2月12日:国鉄石巻線浦宿駅が開業。
1956年(昭和31年)4月21日:町章を制定する。
1971年(昭和46年)4月1日:有料道路「牡鹿コバルトライン」(宮城県道220号牡鹿半島公園線)が開通。
1980年(昭和55年)7月8日:女川原子力発電所、着工。
1984年(昭和59年)6月1日:女川原子力発電所、運転開始。
1994年(平成6年):町営の観光物産施設「マリンパル女川」が開業。
1996年(平成8年)4月:「牡鹿コバルトライン」(宮城県道220号牡鹿半島公園線)が無料化される。
2002年(平成14年)10月14日(鉄道の日):女川駅が「東北の駅百選」の一つに選定される。
2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生。

行政区域の変遷(市町村制施行以後)
1889年(明治22年)4月1日:牡鹿郡にて旧制度下の20村(女川組20浜の村)が合併した上で村制を施行し、女川村が成立。
1926年(大正15年)4月1日:町制が施行され、女川町が成立。

行政
女川町の財政は、東北電力女川原子力発電所の立地による固定資産税や「原子力発電施設等周辺地域交付金」および「電力移出県等交付金」からなる「電源立地特別交付金」が交付されるため、近隣の市町村と比べると潤沢な財政を持つ。2012年度までは地方交付税が支給されていない地方公共団体であった。そのため、石巻市など周辺市町村との合併には消極的である。

産業
水産業ギンザケ、ホタテガイアワビ、ホヤ、カキなどの養殖漁業に加え、サンマなどの沿岸漁業も盛んである。特にギンザケとサンマの水揚げ量は全国でも有数。


廃止された学校
宮城県女川高等学校(2014年3月31日閉校)…事務継承先は、宮城県石巻高等学校。跡地には、宮城県立支援学校女川高等学園(仮称)の設置が検討されている。
女川町立女川第一中学校(2013年3月31日、女川中学校に改称して第二中と統合された。)
町が東日本大震災被災した後、損壊著しい町庁舎に代えて、本校校舎2階に女川町災害対策本部が置かれている。女川町立女川第二中学校(閉校)
女川町立女川第一小学校(2013年3月31日、女川小学校に改称して他の町立小と統合された。)
文部科学省が推進する学力向上フロンティア事業の指定校(フロンティアスクール)。女川町立女川第二小学校(閉校)
女川町立女川第三小学校(震災より以前に、第二小に統廃合されて閉校。)
女川町立女川第四小学校(閉校)

名所・旧跡・観光スポット
マリンパル女川:観光物産施設。
女川町総合運動公園
女川原子力PRセンター
三十三観音
コバルトライン(宮城県道220号・牡鹿半島公園線) 大六天展望台

足島:国の天然記念物「陸前江ノ島ウミネコ及びウトウ繁殖地」のうち。
鳴り砂(=鳴き砂)の浜辺 夏浜
小屋取浜


祭事・無形文化財
女川みなと祭り:7月最終土日。
おながわ秋刀魚収獲祭:9月中旬。
江島法印神楽:県指定重要無形文化財

ゆかりのある著名人
出身著名人
大正生まれ阿部三郎:弁護士(元・日本弁護士連合会会長)。中央大学理事長。1926年(大正15年)7月6日生まれ。
昭和生まれ中村雅俊:歌手。俳優。1951年(昭和26年)2月1日生まれ。
中条善伸:元・プロ野球選手。1962年(昭和37年)4月12日生まれ。
生年未確認高橋愛美:歌手(音楽ユニット「sunny-side up」のメンバー)。

その他のゆかりある著名人
マイケル・アリアス:アメリカ人CGクリエイター。映画監督(代表作『鉄コン筋クリート』)。妻が女川町出身ということもあって、マイケル・アリアス本人の希望で2007年(平成19年)3月24日、『鉄コン筋クリート』の舞台挨拶付き上映会を女川町の隣りの石巻市にある岡田劇場で開催した経緯がある。1968年2月2日生まれ。

勝又英樹プロバスケットボール選手(bjリーグ仙台89ERS所属)。両親が女川町出身で本人も生まれてから6歳まで女川町で過ごす。1980年6月16日生まれ。

ももいろクローバーZ:震災直後より定期的に女川町を訪問し、地域のラジオや音楽イベントに出演する。ももいろクローバーZ JAPAN TOUR 2013「GOUNN」宮城公演においては、女川町内にある高政蒲鉾工場が冠スポンサーとなった。

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