杜の都ふるさと便 

東日本大震災の復興・再生を祈願してみちのく&杜の都のニュースや話題等お伝えしています。

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東日本大震災から10年にちなんで、水と芋煮に目覚める「恩送り記念日」

今日は東日本大震災が起きてちょうど10年という節目の年です。

 

私は当時の被災者です。

 震災のことは今ははっきり言ってあまり思い出したくありません。

いろいろ思い出されて辛くなるからです。

 

でもね~、書かずにはいられないのです。

 

なぜなら、これから奇跡の星・地球が存在する限り地震は終わらないからです。

 

永遠に続く旅なのです。

 

辛いこともありましたが、私のココロに革命を起こしたことも事実なのです。

 

と言いますのが、あの時はいろんな人に助けられました。

 

当時、電気、水道、ガスというライフラインが1か月にわたりストップしたのです。

 

いやーまいりました。

 

その時地元の人とはお互い助け合って乗り切っていったのです。

 

ご飯がない時には町内で炊き出しをしました。

 

オマケに小学生に芋煮という豚汁を御馳走になり、あまりのおいしさに感激しました。

今やその子たちは成人して結婚しています。

 

また水がない時には関西や九州から給水車を運転して駆けつけてくれました。

 

阪神・淡路大震災に遭われて方がいました。阪神・淡路大震災の時に宮城の人にお世話になったのでお返しだといっていました。

 

私がお礼を言うと彼は「お礼はいりません。今度困った人を見かけたらあなたが助けてあげてください」というのです。

 

感謝、感激、雨、嵐。

 

また、外国からもいろんな形で支援の手が差し出されました。

 

私はこの時ほど人の情けが身に染みたことはありません。

 

私はこの時はっきり目覚めました。

 

情けは人の為ならず。

 

そして「恩送り」という言葉です。

 

以来私はことあるごとに恩送りにいそしんでいます。

 

『あなたが芋煮がおいしいというから3月11日は恩送り記念日』・・・管理人

 

この日以来私のモットーは「一日一善恩送り」

 

3月11日は私の精神革命・恩送り記念日です。

 

 

 ★「恩送り」は"Pay it forward"という。

「恩」とは、めぐみ、いつくしみのことである。

誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくということ。

「恩送り」では、親切をしてくれた当人へ親切を返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと恩を「送る」。恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で善意を具体化することができるとしている。社会に正の連鎖が起きる。

 

東日本大震災の死者数&行方不明者数

警察庁は9日、東日本大震災の発生から11日で10年となるのを前に、1日時点の被害状況を発表した。死者は令和2年3月時点と変わらず1万5899人。行方不明者は、この1年で遺体のDNA型鑑定などで身元が特定され3人少なくなり、2526人となった。

死者の内訳は宮城県が最多の9543人、岩手県4675人、福島県1614人、他9都道県で67人。行方不明者は宮城1215人、岩手1111人、福島196人、千葉2人、青森と茨城が各1人。

 身元が分かっていない遺体は岩手、宮城の計54人。警察が身元を確認した岩手、宮城、福島3県の遺体のうち、65歳以上が56・5%。死因の90・4%が溺死だった。

 


東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)
東日本大震災は、2011年(平成23年)3月11日(金) 14時46分18.1秒に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。東日本各地での大きな揺れや、大津波、火災等により、東北地方を中心に12都道県で2万2000人余の死者(震災関連死を含む)・行方不明者が発生した。これは明治以降の日本の地震被害としては明治三陸地震(死者・行方不明者2万1959人)を超えて関東大震災(死者・行方不明者推定10万5000人)に次ぐ2番目の規模の被害となった。沿岸部の街を津波が破壊し尽くす様子や、福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生は、地球規模で大きな衝撃を与えた。

発生した日付から3・11(さんてんいちいち、さんいちいち)と称することもある。3県の遺体のうち、65歳以上が56・5%。死因の90・4%が溺死だった。

 

 

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