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仙台育英 笑顔で奇跡の逆転サヨナラ勝ち 野球はツーアウトから

仙台育英が2年ぶり8強、大阪桐蔭春夏連覇ならず 高校野球
第99回全国高校野球選手権大会第11日3回戦   仙台育英2―1大阪桐蔭 ( 2017年8月19日    甲子園 )
仙台育英大阪桐蔭 高校野球>9回、馬目は左中間に逆転サヨナラ二塁打を放ち大阪桐蔭春夏連覇の夢を打ち砕く
 「ドラマは俺たちが作るんだ!最高の舞台じゃないか!」。9回裏、仙台育英・佐々木順一朗監督はそう言って打席に向かう選手を送り出した。
 
「私も、選手も9割負けると諦めていました。でも10割諦めてはいませんでした。」
仙台育英・佐々木順一朗監督
 
 2死走者なし。「9割くらい諦めていた」という指揮官だが、ドラマはここから始まった。5番・杉山が中前打で出塁し、さらに二盗に成功。6番・渡部が四球を選び、一、二塁。途中出場の7番・若山の打球は力のない遊ゴロ。
試合終了と思った瞬間、三塁側アルプススタンドはため息から歓声に変わった。一塁手がベースを踏み損ない、若山はセーフ。満塁となった。
 
九回2死一、二塁。仙台育英の若山は、遊ゴロで万事休したと思われたところがセーフになって命拾い。「何が何だか分からなかったけど、あとにつなげました」。
甲子園でもバウンドが変わる安打などがあり、普段からラッキーボーイと呼ばれている背番号15。ゴミが落ちていれば、「運拾い」といって拾うのがチームの取り組みだ。この朝もお菓子のゴミを拾った。「きっとそのおかげです」と笑顔が絶えなかった。
 流れは大きく変わった。続く途中出場の馬目の打球は中堅手の頭を越えた。歓喜仙台育英、泣き崩れる大阪桐蔭
 
「皆が2死走者なしから回してくれた打席だったので、何とかしようと思って打席に入った。ここで自分が最後になるかっていう場面だったので自分で決めてやろうという強い気持ちで入りました」と馬目。若山の遊ゴロで「正直言うと、本当にもう終わってしまった、と」思ったと打ち明けたが、「歓声がワーッとなって、まだ続いているんだなって思って。強く、自分が決めてやろうと思った」。
 

 
試合を決めたのは仙台育英の背番号16、途中出場の馬目(まのめ)だった。1点を追う九回2死満塁。「最後になるか、サヨナラか。自分が決めてやろうと思った」。中堅手の頭上を越える逆転の2点二塁打を放った。控え組は主力より実戦的な打撃練習の数が限られるというが、「その中で、ひと振りで仕留める練習をしてきた」と誇らしげだった。
 


大阪桐蔭「1塁ベース踏み忘れサヨナラ負け 春夏連覇ならず」9回裏ハイライト 仙台育英対大阪桐蔭 2017.08.19


 
ほんの数分前までの双方の立場が逆転したシーンとなった。
 
 「夢みたい。うれしいを通り越している」。1995年から途中休養もありながら約20年チームを率いている、普段は冷静な佐々木監督も興奮気味。「本気になれば世界が変わる」と常々選手に言い続けてきた言葉が現実となった。
 
 「最後のシーンは観客の一人として見てました。9回表が終わり、ドラマは俺たちが作るんだ、と言ってたじゃないかと円陣で話し、馬目には必ずお前に回ってくると。それにしても頼もしい選手です」
 「今年は強くない」と言い続ける佐々木監督だが、甲子園で勝つには実力とともに目に見えない“何か”が必要。
 
過去2回、夏の大優勝旗に手が届かなかった仙台育英だが、今年のチームはその“何か”を持っている。
 
第99回全国高校野球選手権大会第11日は19日、甲子園球場で3回戦の残り4試合が行われ、仙台育英(宮城)盛岡大付(岩手)広陵(広島)花咲徳栄(埼玉)が勝ってベスト8が出そろった。
試合後の仙台育英・佐々木順一朗監督(57)とのインタビュー。
 
 ・馬目(サヨナラ2塁打)には
 「必ずおまえに回ってくるから。『ドラマはおれたちで作るんだとずっといってきただろ、最高のシチュエ  ーションじゃないか』と円陣で話した」
 ・選手たちはあきらめてなかった
 「9割ぐらいはあきらめていたんじゃないか。10割はあきらめていないということ。まだ何かあると。
  馬目がヒーローになってくれたことがうれしくて仕方がない」
 ・なかなか点を取れず
 「ロースコアを期待していた。何となると思っていた。理想的な展開だった」
 ・勝てた要因は
 「九回、守備から帰ってきたとき、これ以上ないぐらいの笑顔だった。頼もしかった」
 
『甲子園には魔物が住んでいる、野球はツーアウトから、勝負は下駄をはくまでわからない』。等といった諺がホントになってしまった一戦だった。
 
印象的だったのはバッターボックスに入った選手はみな笑顔だった。
 
◆8月19日の試合結果
 仙台育英は2―1で、史上初となる2度目の春夏連覇を狙った大阪桐蔭に逆転サヨナラ勝ちした。1点を追う九回2死満塁から、馬目が左中間へ決勝打を放ち、2年ぶりの8強入り。
 
 広陵は6―4で聖光学院(福島)に逆転勝ちした。九回に中村の今大会4本目となる左越え2ランで決勝点を奪い、10年ぶりのベスト8。
 
 盛岡大付は延長十回、12―7で済美(愛媛)を破り、初の8強。十回、植田の2打席連続本塁打などで5点を奪い、2本の満塁本塁打を含む5アーチが飛び交った乱打戦を制した。
 
 花咲徳栄は10―4で前橋育英(群馬)を下して2年ぶりの準々決勝進出を果たした。埼玉勢は春夏通算110勝。
 
◆8月20日(日)の試合組み合わせ
準々決勝4試合。
公立の三本松と東海大菅生は初の8強。3回戦でともに延長勝ちの天理と明豊。初優勝を目指す東北勢は仙台育英広陵盛岡大付花咲徳栄と対戦します。
準々決勝 8:00開始予定
三本松(香川)-東海大菅生西東京
準々決勝10:30開始予定
天理(奈良)-明豊(大分)
準々決勝13:00開始予定
広陵(広島)-仙台育英(宮城)
準々決勝15:30開始予定
盛岡大付(岩手)-花咲徳栄(埼玉)
 ★仙台育英学園高等学校(せんだいいくえいがくえんこうとうがっこう)は、宮城県仙台市多賀城市に立地する私立高等学校。略称は仙台育英(せんだいいくえい)。
設置者は学校法人仙台育英学園。同法人は、東北地方では初の中等教育学校である秀光中等教育学校を設置している。
東日本大震災の影響
2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城野校舎は、2012年1月から改修工事が進められ、2013年3月24日に竣工した。同年4月9日には開校式が挙行され、授業が開始した。宮城野新校舎として完成したのは新『栄光』、新『南冥』、新『北辰』の3つの建物。新『栄光』と新『南冥』との間には、学園創立者である加藤利吉を記念した『GP(Great Principal)ホール』も建設された。
多賀城校舎グラウンド整備
2013年3月多賀城キャンパスのグラウンド(野球場『真勝園』、多目的グラウンド(サッカー場)、テニスコート)が人工芝に整備された。
■甲子園成績 3回の準優勝
1989年(平成元年) - 硬式野球部夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
2001年(平成13年) - 硬式野球部が春の選抜甲子園大会(選抜高等学校野球大会)にて、準優勝。
2015年(平成27年) - 硬式野球部夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
明治神宮大会
2011年(平成23年) - 硬式野球部が優勝
2014年(平成27年) - 硬式野球部が優勝
 
★佐々木 順一朗(ささき じゅんいちろう、1959年11月10日 - )は、宮城県出身の高校野球指導者。
モットーは「本気になれば世界が変わる」
選手歴
東北高等学校
早稲田大学
NTT東北
監督・コーチ歴
仙台育英学園高等学校

仙台育英(宮城)が毎回18安打の猛攻15―3で滝川西(北北海道)を破り、初戦突破 7月12日、全国高校野球

7月12日、高校野球 毎回18安打の仙台育英が15―3で滝川西を破る
第99回全国高校野球選手権大会第5日は12日、甲子園球場で1回戦が行われ、第1試合は一昨年準優勝の仙台育英(宮城)が15―3で滝川西(北北海道)に大勝して2回戦へ進んだ。
 
2年ぶり26回目出場の仙台育英は、毎回の18安打で15得点を挙げ8回連続で初戦を突破。東北勢悲願の初Vへ好発進した。
 
 序盤、仙台育英が豪快に得点を重ねた。1回、3番山田が左翼へ大会18号となる2ラン本塁打で先制。2回には敵失などでつかんだ無死二、三塁で9番、投手の長谷川が右翼へ3ランを放ち、5-0とリードを奪った。

 滝川西は1回から4イニング連続で先頭打者が出塁。だが送りバントで走者を進めることができず、攻撃のリズムをつかめない。
 
 仙台育英は中盤に追加点を挙げた。5回、相手守備のミスなどで無死二、三塁。2死となるが8番斎藤が三遊間を破る。2者が生還し、2点を加えた。6回も相手ミスに乗じる。野選などで1点を奪うと、5番杉山の2点三塁打も飛び出し、この回1安打で3点。得点を2桁に乗せた。
 
 7回、仙台育英は2二塁打などで2点。その裏、滝川西にチャンスが巡ってきた。3四死球で2死満塁。初めて得点圏に走者を置いた場面で、9番竹原の打球が右中間を破る。3人の走者が生還した。
 
 攻め手を緩めない仙台育英は8回に2点、9回にも1点を追加した。
 19年ぶり3回目の出場の滝川西だったが、攻守にミスが痛かった。春夏通じての甲子園初勝利はならなかった。
 
 ▽1回戦
仙台育英(宮城) 230023221=15
滝川西(北北海道)000000300=3
(仙)長谷川、佐川-渡部、阿部
(滝)鈴木、高島、奥村、鈴木-細矢
(本)山田、長谷川(仙)
 
<佐々木監督「何かが味方してくれた」>
 仙台育英が大勝し、2回戦に進んだ。序盤に一発攻勢を見せ、計18安打の猛攻。今大会最多の15得点と打線がつながった。4、5点が勝負の分かれ目とみていた佐々木監督は「二回までに5点差をつけ、チームに安心感が生まれた。何かが味方してくれた」と振り返った。
 
 今チームは昨秋の明治神宮大会、今春の選抜大会ではともに初戦敗退しており、全国大会初勝利。佐々木監督は「チームのムードは良い。体を休ませ、万全の状態で次戦に臨む」と意気込んだ。
 
☆彡雑感
育英は相手投手の不調、育英のそつのない野球が実を結び、大差で勝ったが、次回はコツコツと逆方向に打つバッティングを心掛けてほしい。
2番手のピッチャー佐川の制球が定まらなく、四球連発でさらにストライクを取りに行ったところを、痛打され、3失点した。平常心で次回は通常通りのピッチングを期待したい。
 
仙台育英学園高等学校(せんだいいくえいがくえんこうとうがっこう)は、宮城県仙台市多賀城市に立地する私立高等学校。略称は仙台育英(せんだいいくえい)。
設置者は学校法人仙台育英学園。同法人は、東北地方では初の中等教育学校である秀光中等教育学校を設置している。
宮城県仙台市宮城野区宮城野2丁目4番1号(宮城野キャンパス)
宮城県多賀城市高橋5丁目6番1号(多賀城キャンパス)
設立年月日 1905年
創立者 加藤利吉
共学・別学 男女共学
課程
全日制課程
広域通信制課程
単位制・学年制
学年制(全日制 特別進学コース、英進進学コース、情報科学コース)
単位制(全日制 外国語コース、フレックスコース、技能開発コース)
単位制(通信制
設置学科 普通科
学期 三期制
 
◆歴史
1989年(平成元年) - 硬式野球部夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
2001年(平成13年) - 硬式野球部が春の選抜甲子園大会(選抜高等学校野球大会)にて、準優勝。
2015年(平成27年) - 硬式野球部夏の甲子園大会(全国高等学校野球選手権大会)にて、準優勝。
 
東日本大震災の影響
2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城野校舎は、2012年1月から改修工事が進められ、2013年3月24日に竣工した。同年4月9日には開校式が挙行され、授業が開始した。宮城野新校舎として完成したのは新『栄光』、新『南冥』、新『北辰』の3つの建物。新『栄光』と新『南冥』との間には、学園創立者である加藤利吉を記念した『GP(Great Principal)ホール』も建設された。
多賀城校舎グラウンド整備
2013年3月多賀城キャンパスのグラウンド(野球場『真勝園』、多目的グラウンド(サッカー場)、テニスコート)が人工芝に整備された。
 

8月5日第48回仙台七夕花火祭で東日本大震災からの復興を願う約1万6000発が打ち上げられる

 仙台七夕まつり(6~8日)の前夜祭「第48回仙台七夕花火祭」(仙台青年会議所主催)が5日夜、仙台市青葉区の西公園周辺であった。濃い霧が立ち込めるあいにくの空模様の中、東日本大震災からの復興を願う約1万6000発が打ち上げられた。
 


仙台七夕祭りの七夕飾りと屋台情報


 テーマは「以心伝心~心通うやさしい強さ溢(あふ)れる仙台へ~」。仙台藩伊達政宗の生誕450年を記念し、三日月の前立てのかぶとや「450」をかたどった花火も用意された。

 来場者数は約45万人(主催者発表)で、昨年より5万人少なかった。霧の影響で上空で開く大輪はほとんど見られず、打ち上げを中断する場面もあった。
 仙台管区気象台によると、仙台七夕まつり期間中の天候は6、7日が曇り、8日が曇り時々雨の予報。最高気温はいずれも28度前後の見込み。

仙台七夕花火祭(せんだいたなばたはなびまつり)は、「仙台七夕まつり」(8月6日・7日・8日)に付随して、その前日の8月5日に仙台市で開催される花火大会。
 
◆開催時期 8月5日(悪天候の場合は8月9日に順延)
初回開催 1970年(昭和45年) 
今年2017年で48回目を迎える。
市街地で開催されるため、保安距離規制により打ち上げられるのは最大4号(直径約12cm)[6]までとなっている[1]。花火師は、仙台市唯一の花火会社で、シドニーオリンピック閉会式の世界五大陸花火・アジア代表の芳賀火工。
仙台七夕まつり」には団体ツアーの県外客が多いのに対し、「仙台七夕花火祭」は仙台市民が観客の中心である。ただし、隣県(仙台経済圏各県)からも若者が訪れており、約50万人の観客数となる。

◆観賞
会場となる広瀬川中流域(水面の平均標高30m程度)は河岸段丘が発達し、また、隣接する仙台市都心部(標高40m前後)には高層ビルや高層マンションも多いため、様々な角度からの観賞が可能である(当花火祭で上げられる最大の4号花火の到達高度は概ね160m)。仙台空港発着のヘリコプターやセスナ機で、上空からの花火遊覧飛行も可能。
例年、車両通行規制は、18:15から仙台西道路の上り(東北自動車道・仙台宮城IC⇒都心部)で始まり、18:30からは会場近くの道路(以下の1⇒2の順)で開始される。
1-仙台西道路、仲の瀬橋、広瀬通(西公園通〜晩翠通)、西公園通(定禅寺通〜青葉通)、大橋
2-晩翠通(定禅寺通〜青葉通)、広瀬通(晩翠通〜東二番丁通り)
◆近年の問題点
近年、県・市からの補助金と企業からの協賛金だけでは運営費の全てをまかなうことが出来なくなってきている。
対策として有料観覧席が設けられ、その収益を運営費に当てている。しかし、それでも足りないため、街頭募金が行われている。2009年の予算は4000万円だが、深刻な資金不足に陥っている。2014年は後述の通り打ち上げ場所の移転に伴い目標金額が9300万円と大幅に上がっている。
打ち上げ場所の広瀬川仲ノ瀬緑地運動広場は、仙台市地下鉄東西線(2015年(平成27年)12月6日開業)がその南部の上空を広瀬川橋梁が横切り、隣接する仙台商業高校跡地南端に国際センター駅が設置されているため、東西線開業後の当花火祭の開催継続が危ぶまれている。2014年は打ち上げ場所が東北大学百周年記念会館川内萩ホール)敷地内(南西方向に約400m程移動)に変更した。
 

宮城県山元町笠野地区八重垣神社の新社殿で7月30日に夏の例祭

  山元町笠野地区八重垣神社で夏の例祭

 東日本大震災で大きな被害を受けた山元町笠野地区の八重垣神社で新社殿が完成し、30日、新しい社殿で初めてとなる夏の例祭があった。旧社殿は津波で流失しており、祭りに集まった氏子や住民に笑顔が広がった。
 みこしは氏子ら約30人が担ぎ、神社そばの浜辺や町の新市街地「つばめの杜」などを巡行。最後に、新社殿の前で威勢のよい掛け声とともに練り歩いた。
 木造の社殿は建築面積約70平方メートル。25日に完成し、28日にご神体を新社殿に移す遷座が行われた。再建費用は日本財団からの支援金や神社の自己資金、義援金などで賄われた。
 氏子総代長の岩佐吉郎さん(76)は「震災直後は、6年でこんなに立派な社殿が建つとは思わなかった。多くの支援に感謝したい」とにこやかに語った。

★八重垣神社
八重垣神社は宮城県山元町にあります。海の側にたたずむ神社で、地元の人からは「お天王さん」として親しまれています。その歴史は古く、応永16年に藤波氏により牛頭天王が鎭守されたと記録されています。毎年7月に行われる八重垣神社例祭では、地元の氏子衆による豪快な神輿渡御が行われていました。残念なことに、2011年の太平洋沖地震により神社が津波で流されてしまいました。津波の被害により周囲は何もなくなってしまいましたが、仮社殿を建立し、復興に向けての植樹祭も行われています。
 
 応永16年(1409)に藤波祥学の祖、堯雄(ぎょうゆう)が伊勢神宮に詣でて、スサノウノミコトの神霊を乞い、牛頭天王(ごずてんのう)と称し鎮守したと社伝にあります。社殿は寛政年間(1789~1801)に造営されたもので、総欅造、彫刻「かご彫り」があります。
 
 例祭は旧暦6月15日の前後のどちらかの土日にかけて行われ、仙南地方の三大夜祭として広く知られています。本祭りでは神輿渡御が行われ、およそ30人の担ぎ手によって笠野の海へと入っていく豪快な祭りの姿を見ることができます。
〒989-2202 宮城県亘理郡山元町高瀬字笠野128番
山下(宮城県)駅出口から徒歩約19分
 
★山元町
山元町(やまもとちょう)は、宮城県の東南端の太平洋沿岸に位置する町である。
町民憲章「明るく住みよい和のある町をめざす」
◆地理
町の地形は、西部が山地(森林)、中部が台地(畑・果樹園)、太平洋に面した東部が低地(水田)となっている。町内は大きく北部の山下地区、南部の坂元地区、海岸地区の三つに分けられる。もとは国道6号線沿いの旧山下・坂元両村の役場が置かれていた辺りに人家が集中していたが、これらの部落はともに最寄駅(常磐線の旧山下駅・旧坂元駅)からは離れており、電車を利用しての通勤・通学にはやや不便であったので、次第に常磐線沿いにも宅地が形成されていった。
山:大森山(315.1m)・深山(287.2m)・四方山(272.6m)・権現堂山(325.0m)
河川:戸花川・坂元川
年平均気温:12.2℃(2005年)
月平均降水量:88.17mm(2005年)

都道府県 宮城県
亘理郡
面積 64.58 km²
総人口 12,127人(推計人口、2017年6月1日)
人口密度 188人/km²
隣接自治体 角田市亘理郡亘理町伊具郡丸森町 福島県相馬郡新地町
町の木 クロマツ
町の花 ツツジ
町の鳥 ツバメ

◆歴史
2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震が発生。大津波により沿岸地区6部落が壊滅して多数の死傷者を出し、常磐線の町内区間が不通となる。
2016年(平成28年)12月10日 - 常磐線の町内区間が運転を再開。山側に移転した山下駅と坂元駅の新駅舎が開業。
◆名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
四方山・深山トレッキングコース
深山山麓少年の森(菱沼の郷)
社台グループ山元トレーニングセンター
唐船番所跡(磯崎山公園)
蓑首城跡
八重垣神社
山元夢ファーム(ポニーの乗馬が楽しめる)
◆祭り・イベント
ホッキ祭り - 2月下旬
ストロベリーラインふれあい市 - 6月上旬
八重垣神社(お天王様)祭礼 - 7月下旬
商工産業祭・文化祭 - 11月上旬
アップルラインふれあい市 - 11月下旬
やまもと食のまつり - 12月下旬

ミライフ東日本 契約数2万軒を目指す

ミライフ東日本 契約数2万軒を目指す

シナネンホールディングス(HD)グループで、東北6県で主にLPガスを販売するミライフ東日本(仙台市)が、東北の一般家庭向けに電力販売を始めて1年が過ぎた。
ミライフ東日本は電力小売り全面自由化を機に参入し、LPガスなどと組み合わせた料金プランを提案する。
平岡哲美社長へのインタビュー
「現状と展望」
 
 -電力の販売状況は。
 「昨年4月から市場調達した電力を販売し、今年5月末で約4000軒と契約した。LPガスや灯油、通信をセットにした料金プランを提案し、電気の単価は使用量に応じて東北電力より1~5%安く設定している。2019年度末までに北海道と合わせて契約数2万軒を目指したい」
 -目標達成の道筋は。
 「契約先は6県に約4万5000軒あるLPガス顧客が中心だ。4年に一度の法定点検以外にも、年1回ずつ保守点検で訪問しており、顧客と顔を合わせる接点を生かしていく」
 -東北電管内の新電力への切り替え率は全契約数の約4%にとどまっている。
 「電力を自由に選べることが各家庭にまだまだ浸透していない。生活支援につながるサービスであることを地道に説明していく」
 -シナネンの地域別販売会社として15年4月に分社化して発足した。
 「東北は4支店と20店舗に社員約220人がおり、売上高は年間約160億円に上る。分社化によってより地域に根差し、スピード感を持って事業ができるようになったが、人口減少の影響で国内のLPガス消費量は年3%ずつ減っており、先行きは厳しい」
 「太陽光パネルや床暖房といった住宅設備の販売、リフォームなど生活関連のサービスを拡充し、総合エネルギーサービス企業を目指している。地域密着の業務を通じて『ミライフ』の認知度アップを図り、収益拡大に努めたい」
 
◆私たちミライフ東日本は、総合エネルギーサービス企業として石油・LPガス・電力といったエネルギー供給を事業の中心にお客様と共に歩んでおります。
お客様目線を持った社員集団として、信頼され選ばれる会社となるべく、ライフスタイルのニーズの変化に合わせてサービスメニューを増やし、新たな価値を創造して、規制緩和によって業者間の垣根が取り払われたエネルギー大競争時代に立ち向かって参りました。
これからも、目まぐるしく変化する環境のもと、立ち止まることなく迅速に適応して参ります。そしてお客様に明るい未来と豊かな暮らしを提供し続けることが私たちの社会的使命と自覚し、地域すべてのお客様に、快適な住まいと暮らしのサービスをお届けして参ります。
今後とも、変わらぬご厚誼とご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
代表取締役社長 平岡哲美

★ミライフ東日本株式会社
http://www.melife-east.co.jp/index.html
本 社
〒983-0034 宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL:022-239-5712 (代表)
設 立
1986年5月28日
資本金
2億円
代表者
代表取締役社長 平岡 哲美
★平岡哲美(ひらおか・てつみ)は商社勤務を経て、12年4月シナネン常勤顧問に就任。同6月常務CCO兼管理本部長、15年6月ミライフ副社長、17年6月から現職。63歳。福岡県出身。
従業員数 252名 ※平成28年4月1日現在
 
■主要グループ会社
シナネンホールディングス株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7100
■ミライフ北海道株式会社
〒063-0846
北海道札幌市西区八軒六条西十一丁目1番1号
TEL: 011-611-3261
■株式会社いいつか
〒019-0505
秋田県横手市十文字町仁井田八萩73-1
TEL: 0182-42-1455
■株式会社シナネン東北ひまわりガスセンター
〒983-0034
宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL: 022-235-1910
■株式会社庄内品川
〒998-0036
山形県酒田市船場町1-8-13
TEL: 0234-22-7345

■グループ会社
■ミライフ北海道株式会社
〒063-0846
北海道札幌市西区八軒6条西11-1-1
TEL: 011-611-3261
■ミライフ東日本株式会社
〒983-0034
宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL: 022-239-5712
■株式会社シナネン東北ひまわりガスセンター
〒983-0034
宮城県仙台市宮城野区扇町4-7-30
TEL: 022-235-1910
■株式会社いいつか
〒019-0505
秋田県横手市十文字町仁井田八萩73-1
TEL: 0182-42-1455
■タカラビルメン株式会社
〒301-0002
茨城県龍ケ崎市中根台4-10-1
TEL: 0297-66-7111
■日高都市ガス株式会社
〒350-1233
埼玉県日高市下鹿山473
TEL: 042-989-4041
■品川開発株式会社
〒105-0012
東京都港区芝大門1-3-8 アトラス芝大門2階
TEL: 03-5425-4631
シナネン株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7327
■太陽光サポートセンター株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7126
シナネンサイクル株式会社
〒105-8525
東京都港区海岸一丁目4番22号
TEL: 03-5470-7121
■株式会社ミノス
〒105-0022
東京都港区海岸2-2-6 プレミア海岸ビル5階
TEL: 03-6436-3871
シナネン石油株式会社
〒143-0016
東京都大田区大森北3-4-11 三笠ビル2階
TEL: 03-6404-8920
シナネンファシリティーズ株式会社
〒150-0011
東京都渋谷区東2-27-1 協和第一ビル
TEL: 03-3409-1305
■株式会社インデス
〒194-0013
東京都町田市原町田5-3-10 第2飯田ビル3F
TEL: 042-739-4404
シナネンライフサポート株式会社
〒950-0914
新潟県新潟市中央区紫竹山6-3-47
TEL: 025-247-7571
■株式会社シナネンゼオミック
〒455-0051
愛知県名古屋市港区中川本町1-1
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〒455-0051
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〒920-0357
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シナネンブラジル社
サンパウロ州イタポランガ
 

宮城県名取市北釜地区の特産メロン「北釜クイーン」復活! 6月17日販売再開~! メロンパンも?

東日本大震災津波で壊滅的な被害を受けた名取市北釜地区のビニールハウスで、特産のメロン「北釜クイーン」が収穫期を迎えている。生産を再開した昨年は満足できるメロンができなかったが、今年は順調に育っており、被災から立ち上がった生産者も手応えを感じている。同地区で17日にある復興イベント「北釜to楽市(トラック市)」で販売される。
 
 仙台空港近くの海沿いにある北釜地区は震災前、約120世帯が暮らしていた。砂地を生かしたメロン栽培が長年続けられており、特産の「北釜クイーン」は乳白色の果肉の柔らかい甘さが人気だった。
 
 同地区出身で、農業生産法人名取北釜ファーム社長さん(77)は20代でメロン栽培を始めた。若いころは会社勤めをしながら、40代で専業農家になった。震災の津波で亡くなった奥さん(当時67歳)と二人三脚で励んできた。
 
 収穫期には午前4時からハウスで作業し、昼間はメロンを求める客が次々と訪れた。奥さんは客とのおしゃべりが大好きで、カットしたメロンをおいしそうに食べるのを喜んだ。「友達もうんと増えて、母ちゃん一番楽しかったんじゃないかな」と懐かしむ。
 震災の日も、昼過ぎまで2人はメロンの苗作りに取り組んでいた。午後、社長さん外出先で揺れに襲われ、市内の小学校に避難した。3日目に集落の住民が避難した仙台空港に行くと、奥さんの姿はなく、翌日、流された車の中で見つかったと知らされた。
 
 奥さんを亡くし、ハウスもすべて流された。農業を再開する気力を奪われた社長さんの背中を押したのは「またメロンを食べたい」というなじみ客の声だった。地区住民と草刈りを始め、「みんなでやれば農業を再開できる」と、住民を説得して農地を借りた。
 
 農家7人が構成員となり、2014年12月に名取北釜ファームを設立。
国の支援でハウスを再建し、コマツナチンゲンサイなどの栽培を始めた。メロンは昨年、生産を再開した。皮が割れたりしたが、震災前と変わらない甘いメロンが実り、なじみ客や営農再開を支えてくれた人たちに贈った。
 
 「こんな立派なハウスができるなんて思ってなかった」。今月上旬、メロンが育つハウスの中でつぶやいた鈴木さん。流されたハウスのパイプが散らばった農地で、途方に暮れたあの頃から、6年がかりで自慢のメロンを実らせた。「うまくできたぞ」。今年取れたメロンを奥さんの仏前に供えるつもりだ。
 
 
名取市北釜地区の特産のメロン「北釜クイーン」は、津波の被害で生産ができない状態になったが、種の支援などを受け、販売を再開した。地元の市場では、店頭のものはすぐに売り切れた。
 
 ◆東日本大震災で甚大な被害を受けた名取市北釜地区で、特産のメロン「北釜クイーン」が7年ぶりの出荷を迎える。17日には同地区で開かれる「北釜TO楽トラック市いち」で約500個を販売する予定で、栽培する農業生産法人「名取北釜ファーム」社長の鈴木更治さん(77)は「待ってくれている人たちに、やっと食べてもらえる」と楽しみにしている。
 
 仙台空港の近く、海から500メートルほど内陸を南北に走る道路沿いに、約1・5キロ・メートルにわたってハウスが連なる。同ファームの農地約8ヘクタールに建てられた144棟のハウス群だ。
 
 北釜クイーンを栽培するのはそのうちの6棟。小ぶりな品種で、糖度や形を保つため1本のツルに作るのは2個だけ。のど越しの良い上品な甘さが特徴で、すぐに食べられるよう完熟で収穫する。
 
 鈴木さんは親の代からメロン栽培を始めた。生産量はそれほど多くなかったため、小売店などには流通させず、直売施設や全国各地へ発送して販売。季節になると、買い求める客の車が1日に20台ほど来るなど、収穫したメロンはその日のうちに完売した。
ファーム社長・鈴木さんは津波で犠牲「妻のためにも」と語る。
 
 しかし、震災で10メートル近い津波をかぶり、ハウスやトラクターなどが流失。一緒にメロン作りを手伝ってくれた奥さん(当時67歳)は、避難途中に車ごと津波にのまれ犠牲となった。
 
 2014年、鈴木さんら同地区の被災農家7軒で同ファームを設立し、チンゲンサイや雪菜などの生産を始めた。地元の種苗会社が廃業したためメロンの種は入手できなくなったが、鈴木さんは諦めなかった。
 
「今年も待ってます」「いつ頃から出るの」――。「メロンおばちゃん」と呼ばれて親しまれた一子さんのなじみ客からの声が後押しした。北釜クイーンの種を扱う業者を見つけ、昨年、試作にこぎつけた。
 
 震災前まで30軒ほどの農家がいた北釜地区だが、離農が進み、再開したのはごくわずか。それでも「農地もあるし、俺には農業しかないから頑張って北釜を盛り上げないと。母ちゃんのためにもね」と鈴木さん。初出荷のメロンは仏壇に供えるつもりだ。
 
※「北釜to楽市」では、弊社を含む地元で栽培された野菜を中心に、閖上の海産物、かまぼこ、お米、花、はちみつ、お菓子、手芸品、弊社を協賛する企業が出品する山形のさくらんぼ等を軽トラックやワゴン、テント等、計34台で販売予定です。出店者は、地元の農家、名取市で出店している企業・団体にこだわりました。

東日本大震災でかけがえのない多数の命と財産を流失し、残された私たちは手を取り合いここまで復活してきました。賛同していただいた地元の方や企業・団体の皆様のご協力で「北釜は元気だよ」と発信できるイベントにしていきたいと企画中です。

勿論「北釜to楽市」で北釜クイーンの販売を致しますので、どうぞお楽しみに!!!
 「北釜to楽市」は17日午前10時45分〜午後2時、名取市下増田台林の名取北釜ファームである。市内で被災した農家や水産加工業者、商店主らが軽トラックなど30台以上に商品を載せて販売する。荒天中止。問い合わせは同ファーム(022・796・8318)。
 
東日本大震災で被災し、出荷が途絶えていた宮城県名取市特産メロン「北釜クイーン」が今月下旬、7年ぶりに復活することになり、宮城農高の生徒とパン製造販売のパンセ(仙台市)がメロン商品の共同開発に乗り出した。生徒のアイデアを基に同社が商品化し、パンセ名取本館で販売。北釜クイーンの再出発を後押しする。
 
★北釜クィーン
甘く、みずみずしい味わい
 全国に名を馳せる名取ブランドの一つ、北釜のメロン。温暖な風土を誇り、良質な水の確保が可能な名取の地に注目し、栽培に創意工夫をこらした特産品です。甘く、みずみずしい味わいは評価も高く、市場からの指名買いも増えています。形の良さ、品質の安定化に、丹精込めて育てあげる生産者の熱意と、たゆまぬ努力の成果が映しだされています。
 

気仙沼市の気仙沼漁港に14日、カツオ一本釣り船が今年初めて入港

20年連続で生鮮カツオ水揚げ日本一を誇る気仙沼市気仙沼漁港に14日、カツオ一本釣り船が今年初めて入港した。
 
 午前9時すぎ、三重県志摩市の第27源吉丸(149トン)が入港。千葉県銚子沖で捕れたカツオ17トンを船員が1匹ずつ手作業で水揚げした。山本漁労長(39)は「これから続々と気仙沼に水揚げされる。おいしいカツオを食べてほしい」と話した。
 
2016年の魚市場の生鮮カツオ水揚げ量は、一本釣りと巻き網合わせて1万9422トン。そのうち7割を一本釣り船が占めた。
 
★カツオとは
カツオ(鰹、松魚、堅魚、英: skipjack tuna学名 Katsuwonus pelamis )は、スズキ目・サバ科に属する魚の一種。暖海・外洋性の大型肉食魚で、1属1種(カツオ属 Katsuwonus)を構成する。
 
刺身やたたきなどで食用にする他、鰹節の原料でもあり、日本の魚食文化とは古くから密接な関係がある。また、鰹の漁が盛んな地域では郷土料理として鰹料理が多い。
地方名やマナガツオ・ソウダガツオやハガツオとの判別名としてホンガツオ、マガツオ(各地)コヤツ、ビンゴ(仙台 : 若魚)ヤタ(仙台 : 成魚)サツウ(小名浜)マンダラ(北陸)スジガツオ(和歌山・高知)などがある。
 
全世界の熱帯・温帯海域に広く分布する。日本では太平洋側に多く、日本海側では稀である。摂氏19 - 23度程度の暖かい海を好み、南洋では一年中見られるが、日本近海では黒潮に沿って春に北上・秋に南下という季節的な回遊を行う。食性は肉食性で、魚、甲殻類、頭足類など小動物を幅広く捕食する。
 
また、流木やヒゲクジラ(主にニタリクジラ、カツオクジラ)、ジンベエザメの周辺に群がる習性もある。これはカジキから身を護るためといわれているが、反面カツオが集めた鰯を鯨が食べたりもするため、水産庁では共生ではないかと指摘されている。これらの群れは「鯨付き」、「鮫付き」と呼ばれ、「鳥付き」とともに、漁業の際のカツオ群を見つける目安にもなっている。
カツオは、日本の水産業において重要な位置を占める魚種の中にある一つとされている。

日本の太平洋沿岸に生息するカツオは、夏に黒潮親潮とがぶつかる三陸海岸沖辺りまで北上し、秋に親潮勢力が強くなると南下する。夏の到来を告げるその年初めてのカツオの水揚げを「初鰹(はつがつお)」と呼び、珍重される。脂が乗っていないためさっぱりとしており、この味を好む人もいるが、3月初旬の頃のものは型が揃わず、比較的安価である。脂が乗りだすと高値になっていく。
 
初鰹は港によって時期がずれるが、食品業界では漁獲高の大きい高知県の初鰹の時期(4月~6月ごろ)をもって毎年の「初鰹」としており、消費者にも浸透している。南下するカツオは「戻り鰹」と呼ばれ、低い海水温の影響で脂が乗っており、北上時とは異なる食味となる。戻り鰹の時期も港によってずれがあるが、一般的には秋の味として受け入れられている。
 
北上から南下に転じる宮城県金華山沖では、「初鰹」といっても脂がのっているため、西日本ほどの季節による食味の違いがない。また、南下は海水温に依存しており、陸上の気温との違いがあるため、秋になった頃には既にカツオはいない。
 
気仙沼漁港とは
気仙沼漁港(けせんぬま ぎょこう)は、太平洋に面した日本の漁港の一つ。宮城県気仙沼市気仙沼湾奥部に所在する、特定第3種漁港である。
世界三大漁場  の一つである三陸沖を操業域とする漁船の主要な水揚げ港の一つであると同時に、日本の遠洋漁業(主にマグロ)の基地の一つとなっている。
概要
2007年(平成19年)と2008年(平成20年)は、水揚げ高で東北地方内第1位であった。2008年の水揚げ高はおよそ280億円。
管理者:宮城県
漁業協同組合:気仙沼気仙沼地区
組合員数:419名(2001年12月)
漁港番号:1430010
水揚げ量:86,000t (2004年。全国第8位)
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う地盤沈下および津波によって大きな被害を受けた。沖合漁業のカツオ漁船の受け入れを水産業復興の第一歩とするべく、シーズンが始まる6月下旬までに当港の総延長1kmの水揚岸壁のうち200mに応急的なかさ上げを施行。同年6月23日に気仙沼市魚市場を再開し、同月28日に静岡県のカツオ巻き網漁船が入港して震災後初水揚げに漕ぎ着けた。ただし、津波被害を受けたバックヤード施設(冷凍・冷蔵・加工施設)の復旧は間に合わず、生鮮出荷限定の再開であった。その後、沿岸漁業遠洋漁業などにも取り扱いを拡大。漁港・商港および水産加工地区のかさ上げも本格着工し、バックヤード施設の本格復旧も始まっている。 
 
◆歴史
1951年(昭和26年)7月10日 - 第3種漁港に指定(農林省告示第255号)。
1962年(昭和37年)3月30日 - 区域変更(農林省告示第432号)。
1960年(昭和35年)5月24日 - 同月22日に発生したチリ地震に伴う津波で被害を受けた。
1969年(昭和44年)3月3日 - 特定第3種漁港に指定(政令第16号)。
2010年(平成22年)2月28日 - 同月27日に発生したチリ地震に伴う津波で一部浸水。海中の養殖施設に被害は出たが、陸上の被害は軽微だった。
2011年(平成23年
3月11日 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により地盤沈下に見舞われ、続いて津波が来襲して甚大な被害を受けた。
3月20日 - 陸路が遮断される中、支援隊を発足した日本かつお・まぐろ漁業協同組合三浦市などが神奈川県の三崎漁港にて日本全国から集まった救援物資を支援船「第11八幡丸」(気仙沼漁港所属)に積み込み、第1便として出港。22日に気仙沼漁港に入港。物資は陸揚げされ、自衛隊などを通じて気仙沼市に引き渡された。
6月23日 - 気仙沼魚市場が再開。
6月28日 - 震災後初のカツオ水揚げ。
8月1日 - 沿岸漁業の水産物の水揚げ再開。
8月24日 - 震災後初のサンマ水揚げ。
 
◆水産物
水揚げ魚種
カツオ、および、サメ類(主にネズミザメ[俗称:モウカザメ])を始めとして、サンマ、カジキ類などで日本有数の水揚げを誇る。
2004年度(平成16年度)の陸揚量全国順位は以下のとおり。
第1位 - サメ、カジキ、エビ、シイラ
第3位 - サンマ
第5位 - カツオ
 
◆特産物
フカヒレの生産量では日本一を誇り、カキ、ホタテガイ、アワビ、ウニ、ワカメ、コンブなどの魚介藻類も特産である。
 
◆主な漁業
近海マグロの延縄(はえなわ)漁業
近海カツオの一本釣り漁業
敷網漁業(サンマ棒受網漁業)
大目流網漁業 :対象魚は、メカジキ、マカジキ、ネズミザメ(モウカザメ)。
旋網(まきあみ)漁業 :対象魚は、マグロ、カツオ、サバ、イワシなど。
定置網漁業 :対象魚は、ブリ、サバ、イワシ、イカ、サケ、マス、ヒラメ、スズキ、ニシンなど。
イカ釣り漁業
底引き網漁業
地引き網漁業
海面養殖業(水面養殖漁業)

★一本釣りとは
1本の糸に1〜数個の釣針をつけて釣る漁法。
長い糸にたくさんの釣針をつけて行うはえなわ(延縄)に対するもの。対象魚によって釣りの仕掛けや釣り針などがくふうされ、釣り餌(えさ)には生餌(いきえ)以外の擬餌(ぎじ)も用いられる。
一本釣り漁法は、網漁具では操業できない深い所、潮流の速い所、岩礁地帯などでも操業でき、また魚群密度の薄い所などにも適している。また、一本釣りは、海、河川、湖沼などあらゆる水域で多くの魚類が対象とされ、個人の釣り技術の巧拙が顕著に結果に現れるため、レジャーとしても多くの関心が寄せられ、盛んである。なお、一本釣りにはカツオ釣り機やイカ釣り機などの漁業機械も用いられている。
 
一本釣りは最も古くから見られる漁法の一つで,縄文時代の遺跡から骨製の釣針やいわ(沈子)の遺物が多数発見されているので,すでにこのころから行われていたことは確かである。 一本釣りにはさお釣り,手釣り,引縄が含まれる。さお釣りはさおの先に釣糸をつけて釣針を操作するのに対し,手釣りは直接釣糸を手で保持して操作する。
釣具を操作して,魚が釣針に掛かるごとに引上げて獲物をとる漁法で,竿が使われる竿釣りと釣糸を手に持って操作する手釣りがある。カツオ,サバ,イカなどを目的とした一本釣りが盛んであるが,特にイカなどでは自動釣機の発達普及がみられる。
 
◆世界三大漁場
○北西太平洋漁場(三陸沖、日本海東シナ海オホーツク海
○北東大西洋漁場(北海、ドッガーバンク、グレートフィッシャーバンク、アイリッシュ海
○北西大西洋漁場(ニューファンドランド島周辺海域、グランドバンク)
北海付近とカナダの東部です。