杜の都ふるさと便 

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1月21日の大寒に七ケ浜町菖蒲田浜では、若手神職らが冷たい海に入って身を清める「大寒みそぎ」が行われる

21日は二十四節気の「大寒」。1年で最も寒さが厳しいころとされる。宮城県内は冬型の気圧配置が続き、この時季らしい寒さとなった。七ケ浜町菖蒲田浜では、若手神職らが冷たい海に入って身を清める「大寒みそぎ」が行われた。

 下帯に鉢巻き姿の男性ら約30人が神事の後、海へ入った。大祓詩(おおはらえことば)を唱え、東日本大震災からの復興を祈った。

「寒かったが、すがすがしい気持ちで無病息災を願った」と話した。

 仙台管区気象台によると、県内の朝の最低気温は仙台が氷点下1.6度、気仙沼が氷点下2.6度、塩釜が氷点下1.5度。いずれも1月上旬から中旬並みの気温だった。

 管区気象台によると、県内は22日も冬型の気圧配置が続き、昼前まで西部を中心に雪の降る所が多い見込み。

 

★大寒(だいかん)は、二十四節気の第24。十二月中(通常旧暦12月内)。

現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のときで1月20日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から1/12年(約30.44日)後で1月20日ごろである。

期間としての意味もあり、1月20日~2月3日まで、すなわちこの日から、次の節気の立春前日までである。

西洋占星術では、大寒を宝瓶宮(みずがめ座)の始まりとする。

季節

寒さが最も厳しくなるころ。『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と説明している。実際は1月26日あたりから2月4日あたりまでが最も寒い

寒(小寒 - 立春前日)の中日で、一年で最も寒い時期である。武道ではこのころ寒稽古が行われる。

大寒の朝の水は1年間腐らないとされており容器などにいれ納戸に保管する家庭が多い。


■七十二候

大寒の期間の七十二候は以下の通り。

●初候

款冬華(ふきのはな さく) : 蕗の薹(ふきのとう)が蕾を出す(日本)

鶏始乳(にわとり はじめて にゅうす) : 鶏が卵を産み始める(中国)

●次候

水沢腹堅(さわみず こおりつめる) : 沢に氷が厚く張りつめる(日本)

鷙鳥厲疾(しちょう れいしつす) : 鷲・鷹などが空高く速く飛び始める(中国)厲は{勵-力}

●末候

鶏始乳(にわとり はじめて とやにつく) : 鶏が卵を産み始める(日本)

水沢腹堅(すいたく あつく かたし) : 沢に氷が厚く張りつめる(中国)

前後の節気

小寒 → 大寒 → 立春

 

★七ヶ浜町(しちがはままち)は、宮城県中部の太平洋沿岸に位置する町である。町域は、日本三景・松島の南部を形成している。

概要

宮城県の中部に位置し、松島丘陵が仙台湾に半島状に海に突き出した形になっている七ヶ浜半島を町域としている。この半島は江戸時代、基部を横断するかたちで貞山運河が造られ、それによって島のような状態となっている。山として韮山、また湖沼には阿川沼がある。

七ヶ浜町は東北地方の市町村の中で最小の面積である。気候は比較的温暖で、寒暖の差が少ない。キャッチフレーズは、「うみ・ひと・まち 七ヶ浜」。

2010年国勢調査 において昼夜間人口比率が65.0%であり、日本の市区町村の中では最も低い値であった。

町名の由来

海沿いに7つの集落があったことから、「七ヶ浜」と名づけられた。

湊浜・松ヶ浜・菖蒲田浜・花渕浜・吉田浜・代ヶ崎浜・東宮浜

歴史
縄文時代、“日本最大の貝塚”である大木囲貝塚がつくられた。松島町と共に縄文時代における“日本の中心地”の一つであった。
奈良時代、陸奥国の国府・多賀城に隣接し、国府厨(こくふのくりや)が置かれた。豊富な海産物が多賀城に送られた。
1889年 4月1日 町村制施行により、七ヶ浜村が誕生。
高山外国人避暑地設置。

1959年1月1日 町制施行し、七ヶ浜町となる。
1980年9月 - 汐見台地区(七ヶ浜ニュータウン)分譲開始。
2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震により被災
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本太平洋沖地震では、津波により町の面積の約4分の1が浸水した

●名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

菖蒲田浜海水浴場(全国で3番目に開設された海水浴場)
多聞山(松島四大観の1つ。「偉観」)
高山外国人避暑地
大木囲貝塚(面積197,248m²にして日本最大規模の貝塚)
鼻節神社
総合スポーツセンター
七ヶ浜国際村
小浜港(ヨットハーバー)

七ヶ浜町出身の有名人
大越基(プロ野球選手、高校野球監督)
佐藤仁徳(プロボクサー)
明瀬川傳四郎(大相撲)力士

 

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