杜の都ふるさと便 

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宮城県の三陸沿岸で、マダコが思わぬ豊漁に浜が活気づく

宮城県三陸沿岸で、マダコが異常なほど大漁となっている。南三陸町ではここ1カ月で昨シーズン4カ月分の水揚げを超え、石巻市石巻魚市場も10月の取扱量が昨年同月の8倍に上る。温暖化などで暖流系のマダコが北上したとの指摘がある。秋サケや寒流系のサンマが不漁なだけに、思わぬマダコ豊漁に浜が活気づいている。

 マダコが名産の南三陸町では、地元漁協が夏から志津川湾に大量のマダコを確認し、通常は11月解禁の籠漁を1カ月前倒しする異例の措置を取った。

 町地方卸売市場によると、10月のマダコの漁獲量は115トン。昨季(昨年11月~今年2月)の63トンを上回り、約60年ぶりの大漁とも言われている。

 同町志津川の漁師さんは「例年は籠10個当たり2、3匹入っていれば良い方。今年は一つの籠に2匹入ることもある。こんなに捕れたのは初めてだ」と驚く。

 牡鹿半島沿岸でもマダコの漁獲が激増し、石巻魚市場への水揚げは10月に114トンを記録。昨年同月の14トンを大幅に上回った。

 南三陸石巻の両市場で、10月の平均価格は1キロ当たり922~932円と高値で推移。海外の輸入先や西日本などで不漁が続いた影響で、まとまった量を安定して供給できるため引き合いが多いという。

 豊漁の要因について、漁業情報サービスセンター東北出張所(石巻市)の高橋清孝所長(65)は「海水温の上昇により、茨城や千葉で産卵していたマダコが福島や宮城で卵を産むようになった可能性がある。餌のカニが豊富なことも影響しているのではないか」と説明する。

 南三陸町の関係者は、暖流で北上した「渡りダコ」が餌の豊富な三陸沿岸にとどまったほか海水温の上昇で越冬できるようになり、志津川湾で生まれた「地ダコ」が増えたと推察する。

 同町志津川の水産加工会社は「いつ不漁になるのか分からないので来年の分まで確保したい。安定した量が手に入る今のうちに新商品の開発にも取り組めそうだ」と意気込む。

マダコ
マダコ(真蛸、Octopus vulgaris) は、タコ目・マダコ科に属するタコの一種。世界各地の熱帯・温帯海域に広く分布し、日本では一般にタコといえば本種を指すことが多い。

浅い海の岩礁サンゴ礁に生息するが、外洋に面した海域に多く、内湾には少ない。真水を嫌い、汽水域には生息しない。昼は海底の岩穴や岩の割れ目にひそみ、夜に活動して甲殻類や二枚貝を食べる。腕で獲物を絡め捕り、毒性を含む唾液を注入して獲物を麻痺させ、腕の吸盤で硬い殻もこじ開けて食べてしまう。ヒトに対してもかなりの毒性を発揮し、咬まれた場合相当な期間、痛みが続くことがある。

天敵は人間の他にも海鳥、ウツボ、沿岸性のサメ、エイなどがいる。危険を感じると墨を吐き、敵の視覚や嗅覚をくらませる。腕を自切することもでき、欠けた腕はしばらくすると元通りに再生する。

日本では重要な漁業資源で、タコ類の中では最も産額が多い。瀬戸内海の明石沖でとれるあかしだこが珍重される。近縁種がアフリカ大西洋岸諸国等からも輸入されている。モロッコからの輸入は一時日本での消費量の4割を占めていたが、乱獲のため漁獲量が減少し、2003年から年あたり8ヶ月程度の禁漁規制が続けられている。一方、タコを食べる文化が無い欧米地域(スペイン、イタリア、ギリシャなどを除く)ではデビル・フィッシュ(Devil fish 悪魔の魚)と呼ばれたりもする。

カニ等を餌とした釣りも行われるが、物陰にひそむ性質を利用した「蛸壺」(たこつぼ)漁法が主流である。大阪湾沿岸の弥生時代の遺跡からも、蛸壺用と思われる土器が大量に発掘されており、古くから食用にされていたことが窺える。

塩で揉み洗いしてから茹でて、酢蛸や煮物、寿司種等にする。茹でずに生で刺身にしたり、薄切りにしてしゃぶしゃぶにしたりすることもある。

日本水産は2017年6月8日、マダコの完全養殖技術を構築したと発表した。


南三陸町
南三陸町(みなみさんりくちょう)は、宮城県北東部に位置し、本吉郡に属する唯一の町。

 

東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南三陸町震度6弱(観測地点:歌津地区、志津川地区)を記録した。

さらにこの地震が引き起こした大津波は町内の3つの川を逆流し、1960年(昭和35年)のチリ地震による津波の到達地点を越えて内陸深く進入した。 庁舎もこれに巻き込まれた。

この地殻変動により、志津川地区の地盤は大きくずれた。
町内にある5つの鉄道駅(全てJR気仙沼線)は、周辺地域の駅同様、その全てが甚大な被害を受けた
陸前戸倉駅は駅と周辺施設の全てが跡形も無く流失し、志津川駅・陸前港駅は駅舎などが流失し、線路も大きな被害を受けた。

高台よりにあった歌津駅清水浜駅は辛うじてプラットホームが残り、駅舎は半壊にとどまったものの(歌津駅の駅舎は全壊)、周辺の線路は大きくねじ曲がった。

至る所で線路が寸断し、鉄橋も崩落、トンネル内にも瓦礫や漁船等の津波漂流物が入り込むなどした気仙沼線の復旧は、長い時間を要するものとなった。

◆産業
江戸時代以降、入谷地区を中心に養蚕業が盛んに行われるようになり、仙台藩における養蚕・生糸生産の中心地となったが、生糸生産は現在ではほとんど行われていない。

志津川湾では、ギンザケ、カキ(牡蠣)、ホタテガイ、ホヤ、ワカメなどの海面養殖業が盛んに行われてきている。近年では、農漁業体験を含む滞在・体験型の観光にも力を入れていた。

面積163.40 km²
総人口11,748人
(推計人口、2017年9月1日)
人口密度71.9人/km²
隣接自治体石巻市登米市気仙沼市
町の木タブノキ
町の花ツツジ
他のシンボル
町鳥 :イヌワシ
海の生物 :マダコ
町の色 :スカイブルー

 

◆名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
田束山: 田束山信仰
神割崎
神割崎キャンプ場(神割崎オートキャンプ場)
椿島:国の天然記念物「椿島暖地性植物群落」(1966年)がある。
入谷八幡神社(いりや はちまんじんじゃ):天武天皇元年- 14年(672- 685年)の創建。入谷水口沢に所在。
樋の口不動尊(ひのくち ふどうそん):田束山麓の樋の口地区にある荒澤不動尊で、円仁(慈覚大師)の作と伝えられる不動明王像を祀る。創建年代は平安時代以後。つつじまつり(5月下旬開催)。
入谷打囃子(いりやうちばやし):宮城県指定無形民俗文化財
荒澤神社:別名「滝不動」。貞観年間(859- 877年)に大和国(現・奈良県)にある龍田神社の分霊を祀り創建という[28]。志津川袖浜に所在。
太郎坊杉(太郎坊の杉):荒澤神社境内にある、推定樹齢約800年・樹高約42m・根周り11.7mの杉の巨木。1955年(昭和30年)宮城県指定天然記念物
次郎坊杉(次郎坊の杉):荒澤神社境内にあった杉の巨木。1958年(昭和33年)の狩野川台風で倒壊し、失われた。
須賀神社
春日神
戸倉神社
全慶寺
金秀寺
大雄寺
行者の道遊歩道
坊ァ墓
南三陸町の成人式は毎年夏、それも基本的に終戦の日に行う。これは旧・歌津町志津川町時代からの名残である。過去に一度、他の多くの地方自治体と同じように1月に行う案も浮上したが、その年の新成人達から反対の声が挙がり、現在も夏のままである。戦没者への黙祷などをするためか、近年問題となっている新成人のモラルの低下による七五三現象などは見られない。
志津川のモアイ
共にチリ地震津波(1960年)の被災地であるということでチリと縁を持つ宮城県志津川町(現・南三陸町)では、友好のシンボルとして、チリで作られたモアイのレプリカを輸入し、1991年(平成3年)7月、志津川湾に面する公園(チリプラザ)に設置した。
歌津魚竜館 :魚竜の一種・ウタツサウルスなどの化石を所蔵。※ただし、東日本大震災被災前。
ひころの里:志津川町の入谷地区(現・南三陸町志津川入谷)に造られた観光施設。
長須賀(ながすか)海水浴場
袖浜海水浴場(サンオーレそではま)
長清水海水浴場
志津川海洋青年の家
水郷生活センター
平成の森
平成の森しおかぜ球場

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