杜の都ふるさと便 

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宮城県の竹駒神社や塩釜神社で抜穂祭が行われ、11月23日に行われる新嘗祭で神社に奉納される

■岩沼市にある竹駒神社で境内の水田から神様に供える稲を収穫する神事「抜穂祭」(ぬきほさい)が16日に行われました。

竹駒神社の境内にある「穂徳田」(すいとくでん)と呼ばれる水田で行われた神事には、神社や地元の関係者など約40人が参加しました。

はじめに稲の順調な生育に感謝したあと早乙女姿のみこたちや地元の関係者らが1列に並び黄金色に実った稲を1本1本ていねいに引き抜きました。

収穫された稲は長さをそろえて束ねられ神職たちによって神前に供えられました。
収穫された稲は11月23日に行われる新嘗祭(にいなめさい)で、竹駒神社の本殿に奉納されるということです。

 

編笠姿で児童ら稲刈り 塩釜で抜穂祭

小学生が青空の下、そろいの装束で稲を刈る


 ■塩釜市の塩釜神社で19日、秋の恒例行事「抜穂(ぬいほ)祭」があり、花がさや編みがさをかぶった子どもたち(抜穂女)が稲を刈り取った。

 地元の小学生20人が刈女(かりめ)、刈男として参加。4アールの御神田に入り、ササニシキの稲穂を引き抜いて実入りを確認した後、鎌で次々と刈り取った。
 耕作長さん(67)は「雨続きだったが、心配していた倒伏はなく、生育は順調。収量も確保できそうだ」と話した。

 新米は11月23日の新嘗(にいなめ)祭行事「初穂曳(はつほびき)」で、海産物などと奉曳(ほうえい)車に積まれ、市内を巡行した後、神社に奉納される。

 

★抜穂(ぬいぼ)「抜穂祭(ぬきほさい)」とは、大昔まだ鋭利な鎌がない時代に稲穂を一本ずつ抜き取っていたころの名残りと考えられています。9月に行われるこの抜穂祭は、神嘗祭に供える御料米(ごりょうまい)の稲穂を古式通りの方法で抜くもので、神嘗祭に付属のお祭りです。

 

農耕神事の一連の祭で、6月の田植祭で植えられた神田の稲を刈り取る神事。

播種祭、御田植祭より、斎田で大切に育てられてきた稲穂を刈り取り、神々に収穫を感謝する神事です。

 

古式の作法に則り、宮司自ら石包丁で黄金色に輝く稲穂を刈り取り、次いで菅笠すげがさにもんぺ姿の巫女や氏子たちが続きます。

収穫されたお米は、御本殿で斎行される「新嘗祭にいなめさい」にて最初にお供えされます。

 

★新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。大祭。また、祝祭日の一つ。

収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に進め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる[1]。

日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があった。その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられている。

一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の在位中に復活した。1873年(明治6年)の太陽暦採用以前は旧暦の11月の2回目の卯の日に行われていた。1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」では大祭に指定。同法は1947年(昭和22年)5月2日に廃止されたが、以降も宮中では従来通りの新嘗祭が行われ、最も重要な祭祀としている。神嘗祭と同様に神宮(伊勢神宮)には勅使が遣わされる。

また、「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」および「休日ニ関スル件」により、1873年(明治6年)から1947年(昭和22年)まで同名の祝祭日(休日)であった。以降も「国民の祝日に関する法律」により、勤労感謝の日と改称されて国民の祝日となっている。なお、固定日の休日では最も長く続いており、11月23日は日本国民に最も定着している休日でもある。

現代では稀であるが、新嘗祭まで新米を口にしない風習も残っている。

2013年12月23日、天皇陛下が傘寿の誕生日を迎えたのを記念し、宮内庁によって、初めて新嘗祭の様子が映像として公開された

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